2016年4月9日土曜日

御柱祭り~山出し曳行

私にとって今回の御柱山出しは,今までの歴史感覚というものを変えるような、大変センセーショナルな出来事の連続でした。


地表に現れる姿は変わっても、その根っこは、恐らくは縄文の太古より寸毫たりとも変わらず、つらなり来たった人々によって伝えられてここにある、と直感させてくれた森と湖の祭り。


若き日に師事した、ある先達が語った秘事があります。
...
それは「祭りは眞釣り合いに通じ、太初より剖判したる天の刻・地の理・人々の和がふたたび揃うた時、その真空の真中を神柱が貫き、太和之気が兆すことで、初めてモノゴトは成就する」というもの。



そんな昔伝えの創世の妙理を、祭式、規模、そして人々の熱狂をもって、あり余るほどの雄弁さで想起させるこの祭りの輪に自分がいたと言う事。そしてまだその輪は閉じていないのだと言う事。こんな生き通しの命の連続性というものを、感じたことってなかったかもしれません。

自分がどこにいて、何者で、いまはいったいいつなのか・・・

 そもそも自分は何一つ確かなことなど知らないのだと言う事。

そしてそんなことすらどうでもよくなってしまう瞬間というのがあるんですね。そしてそれが祭りなのですね。


ものの本によれば、諏訪の文化が際立ってユニークなのは、この日本の臍に蟠居してきた人々の血統が、本州のその他の場所よりもアイヌや琉球などのまつろわぬ民のそれに近いということ。
健南方の神話を待つまでもなく、まさに諏訪人の息吹きは原始に直結しているのだと思いました。



そして御柱の興奮覚めやらぬ翌日、仲間たちと、もうひとつの諏訪古伝の息吹きを尋ねて、八ヶ岳山腹の森の中にある庵を訪れました。
そこは活きた諏訪の御手振りを伝える童顔白髪の翁が、莞爾として天狗秘伝の大法螺を吹き鳴らして、三千世界の桃の実を醸した仙酒を傾けつつ、闖入者を祭りの庭へと誘ったのでした。
まさにまさに、冥加絶妙の数日間だったのでした。

0 件のコメント:

コメントを投稿