2016年4月12日火曜日

古池の布袋葵の花のごと浮いて根を張る浮御堂哉

子供のころ、祖母が「兄ちゃん、浮御堂っていうお堂があるんだよ」と言って、やおら立ち上がると「ほら、こんな風に、風が吹いたらスーーーっと、湖の上をお堂が滑って行くんだよ」
普段でも身が軽い祖母の身体が、まるで紙で出来た人形が風に吹かれるように一層軽く、畳の上を平行に移動して行きました。



「兄ちゃん、お侍はね、風に乗るみたいにしていたから沢山の敵に囲まれても怖くなかったんだよ。山の中でも谷でも砂の上でも風は吹いているからね。どんな重いお堂だって、水に浮いてれば風でスーッと行っちゃうんだからねぇ・・・」...
そう言って祖母は薙刀や刀を、まるで玩具のように取り扱って見せてくれたものでした。


・・そんな風景が、この風の強い八ヶ岳に住むようになってよく想起されます。
浮御堂という言葉の印象自体は、よほど強かったのですが、それが具体的な武術の身体運用の秘訣だったということが理解できたのは、祖母が亡くなってずーっと経ってからのことでした。
○弁天号から竹生島を望む

八卦掌や太極拳を錬り、奇正相生が体現されてくると、歩みの中に陰陽を相齊させる陰中之陽と陽中之陰の作用が出てきます。
身体を斜めに、まるで梁の様に補いリードするこの感覚が生まれることで、自分の身体使いは(あくまでも当社比ですが:笑)滑らかになり、今のバランスの状態を自覚することがより精密になってきました。


中国の師父に「浮力」の養成だということで頭の上に盃を載せられ、幾つかの型を学んだときのこと。
祖母もまた、頭にものを載せたり、手のひらの上でものを直立させたりすることが巧みだったことが思い出されてきました。
私自身は軽業師・大道芸のようなことは、正直嫌悪感がありましたので、あまり真面目に受け止めなかったものでしたが・・・思えばこれが浮御堂のための訓練だったのだ、と理解が追い付き、点と点が繋がったのは、恥ずかしながらつい最近のことです(◞‸◟)


そんなこんなで、この前琵琶湖に行ったとき、浮御堂の実物を見てやろうじゃないか!と思い調べたところ・・・
なんと!堅田の浮御堂は湖の上に「あたかも」浮いているかのように建てられた、立派な「不動産物件」だったのでした!!
風が吹いたところでしっかりと基礎が地面に作ってあるので、ソヨとも動かない本物の浮御堂を知って「なんだよ婆さん!全然浮いとらんやないかーーーい!!」と突っ込んだのは当門の秘密・・・★です(笑)

鰯の頭も信心と言いますが、イメージを想起させる良いコトバが、人の身体すら変化させることもある、というお話です。

☆後ほど調べたら、琵琶湖だけでなく全国各地に浮御堂は作られているらしいです、ひょっとしたら実際浮いているような作りのものも、過去あったのかもしれません。念のため。

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