2016年10月18日火曜日

行者杖の音

吾妻流として、纏めていかなくてはならないものに行者杖(金剛杖)がある。
中国の行者杖は孫行者で猿拳的だが、日本のそれは上に五輪を頂いた樫の棒で、役行者の伝統にあるのだろう。


これは僕の祖母とその親戚たちが妙義や榛名などの上毛の山々で修験の修行をした時に、お世話になったのかどんな関係があったのかは知らないが、法印さんと言って、在野の修行者がいて、その方が山を歩く時に使っていた杖の使い方らしい。


僕もその方の弟子筋なのか、息子なのか??山修行の先達さん(この人は本当に無口で、自分のことなどは殆ど語らない、謎の人だった(笑))について秩父や東北の行場を回ったことがあるから、祖母からというよりその方から多く学んだ。


いま、その方もなくなってずいぶん経ったので記すこともできるが、その頃は山に出入りしていても、その内容は他言無用ということだった(断食や瀧行、籠山行などはその方から学んだものです。何故多言無用だったのかというと、もともとそういった禁忌があったのか、おそらく民間の家でやっていて、宗教団体とは異なった儀軌だし、先達自体本職があったのですが、傍らでまじない、病気なおしみたいなこともされていたので、あまり目立ちたくなかったのではないでしょうか。)


歩き方や行者の杖の運用法(川衆とび・送り杖・繰り杖・数え歩きなど)は特にその本伝の内容ではないので、今思えば語っても良かったのではないか。(本伝の内容とは密教的なもの。所謂雑密ですね。)でも、口外すると佛罰云々と言われると、ちょっと怖かったというのもなきにしも非ず。

僕はその杖使いが大好きで、紹介状をかいてもらって伺った那智で誂えた2本目の杖を、今も大事に使っている。(あの時は決死の覚悟で行きました。5日間で紀伊半島を縦走、伯母子を超えて高野山につく時には足は血だらけ、目はギラギラだったです。一番真面目に行者をやっていた頃です。)




恐くて寡黙な先達曰く「杖がうまければ、50年たっても折れたりはしないもんだ・・・」
教えのお蔭か、それ以来行にあまり出ていないからか(笑)もう20年たった僕の金剛杖も、色こそ良い感じになってきたものの、底だけが丸くなっただけで、折れたりひびが入ったりはしていない。


この方の杖使いは、実に味があって、比叡の行者さんを彷彿とさせるものもあり、また武の内容もあり(昔は山で自衛する必要があったそうです)・・・これに祖母から学んだ数手の杖の技を錬りこんだものが、今の僕の行者杖となっています。

(★一時は薙刀や日月流の棒、形意棍術、八天無双流棒術、琉球古武道そしてこの行者杖を総合して(松風之棒)を作ろうとしたのですが、やはりそれには修行が足りない・・・あと20年練り直して、新たに一つ編めればいいかなあ、と思っております。)

2016年10月15日土曜日

飴と鞭、使うのは誰?

鍛錬は我慢・・・みたいな考え方がある。
理屈を超えるまで我慢する・・・
それはそうかも知れない。
でもそういった無理は心身を害する。


人生はフリーダム・・・みたいに考える人も多い。
道理を無視して生きる。
それにも共鳴はできる。
でもそれもいつまでも続けられるものでは無い。


理の無い所に結果は生まれない。
もしそれが功を奏したのなら、
そこには理外の理があったということ。
べつに我慢や自由を謳歌したからというわけではない。


我慢は我が慢心するという意味。
我を張って一人っきりで満足している。
鍛錬とは違うものだ。
空手の村上勝美師匠も言う。
無理のない無理積み重ね・・・と。


自由も我儘の追求ではない。
もしすべてのの欲求が我が儘に成就したとしても
そこに自由はないのだ。
不自由なこの心身を操作することでこそ
本当の自在を得ることができる。


そういう意味では大成した人は
須らく自分に厳しい一方で
自分の甘やかし方を知っている
飴を使うのも鞭を振るうのも
そこには意志が必要で
その中心があるからこそ
飴と鞭を適度に使い分けることができる。


鞭を食らい過ぎれば廃人かマゾヒストになる
飴を食らい過ぎれば心身の成人病まっしぐらだ。
大事なのはやはりそれらを統括する意志なのだ。
固くもなく柔らかすぎもせず
自分という器にぴったりの中心を
飴と鞭のさ中に探るのだ。