2015年8月22日土曜日

来襲は再来週まで★


朝は公民館にて。子ども組と長拳三不落地を何度も・・・
二起脚、拍脚、謄空擺脚・・・あれ?あし右だったっけ??あ~やっぱわかんねえ!!違う違う!二起脚は、こう!踏み切った足で蹴って、それを下ろさないで・・・え・わかんないの?そーじゃないよ!こーだよ、こう!!・・・って、おまいら、42のおいちゃんに、一体何回飛ばせるんじゃ!!結局先生が一人で飛びっぱなし。そーなるとおもってたんだよ~( ゚Д゚;)


昼は暑~い公園で棒術と歩法訓練。
名こそ松風之棒で、ちょいと涼しげだけど、右に左に体を切るわけですから、結構疲れて汗がだーだー瀧の如し。
ちょっと涼しくなると今度は蚊の来襲・・・
夏休みなのでキッズも来襲(^◇^)あれ、なんかシンキロウ見えた?



着替えが無くなったので、駅前の古着屋でちょいカワ★カットソーを購入。裏地ついててポッケが横向き( ゚Д゚)・・・?でもお手頃1490円ナリ!早速お気に入りに追加です(*‘∀‘)


ご機嫌で、夜の教室は一軸と旋転の話題を中心にねりねり。
それにしても、こんなマニアックなものを良く長く続けてくれるよな~と、感心(*´з`)~♡
そしてここでも新手のキッズの来襲が・・・ふわぁぁ・・・

再来週から新学期。来ないは来ないで寂しくなるな~(・_;)

2015年8月20日木曜日

吾妻流躰術稽古会でした。

今日の午前中は吾妻流体術のお稽古会。

 吾妻流は、僕が群馬は吾妻地方の旧家の出だったお祖母ちゃんに習った体術(手裏剣・剣・薙刀・礼法体術)をベースとして、諏訪伝承武術、浅山一伝流、太極拳、姜氏門武術、壺月遠州流礼法、沖縄空手などの経験を加味して纏めた、老若男女共楽の武芸体術です。

 半座の弧月打ちは、弾正流手裏剣術の基本です。
だんだん刺さるようになってきた若手。

 古の忍法体術にも通じる要素がふんだんに残っており、諏訪の道場でもちびっこ達が一生懸命お稽古をしています(^^)/






今日は葛飾八幡宮境内の広い日本間の有る公民館にて月一回恒例の、大人教室が開催されました。

 手裏剣から始まり、座礼、折敷からの体転、捨身技、最後は柔術で締めました。

 諏訪伝承の柔の手『蛤』。手首でなく腰を攻めます。


みなさん結構難儀していましたね・・・でも、原理は一つ!


 これも、せんじ詰めれば八卦掌と同様、奇正を相生させるポジションさえ自得できれば、あとは千変万化の楽しい応用の世界が広がっています。


そのための基本動作ですよ。頑張って★

日月守護摩利支尊天図

ひさしぶりに筆ペンで、画を描いてみました。

 摩利支尊天さまです☆
常に日月の前にいて、その耀光で日月を守護するのだといいます。
わが流儀、わが道場の守護神です。
楽しんで描いたので、これも≪樂描き≫ですね(^◇^)φ
 
 
ささてさて、次の日、午前中時間があったので早速色をぬりぬり・・・
 
わが日月流の本尊たる日月守護摩利支尊天像、ひとまずの完成!!

ラスタカラーのカッコいい尊像になりました(^^)/
自分的にお気に入りなので、これで善し~☆

 
水性のカラー筆ペン、クレヨン、クーピーを使用。金と水色の朱肉も使いました。...
こういうのは、時間のあるとき、一気に仕上げるのがいいですね。



それにしても、自分で描いた絵が気に入るなんて、お目出度くなったものです。
でも、うれしいので、恥ずかしげもなく・・・



 
丁度いい額があったので、落款を押し額装したら、それらしく見えるではないですか!早速道場に掛けました。
 
 

2015年8月19日水曜日

つばくろに想う

今日の稽古の道すがら、雨に打たれる国道に一羽の燕の子が横たわっていました。
トラックに跳ねられたのでしょうか。まだ飛び始めの若々しい羽が、痙攣して雨けぶりの中に見え隠れしています。
早速引きかえし、路肩に車を止め、対向車に注意しながら保護した小さな命は、私の掌の中でぐったりと頭を垂れ、荒い息を繰り返しています。
...
家に戻り、身体に外傷のないのを確認すると、きっとショック性のものかも知れない、と思いタオルでくるんで水けを拭き安全なところに横たえました。
できることと云って何もないので、さしあたって背骨に沿って輸気をしたところ、手のひらには強烈な気感が返ってきました。
ひょっとしたら、意識を取り戻して、稽古から帰ってくるころには、部屋の中を飛び回っているかもしれないーそんな淡い期待をしながら、稽古会に急ぎました。
夕方、ひとコマ目が終わり、家人に電話をすると「頭から出血して、さっき息を引き取った」との由。
・・・ほんの刹那のご縁でしたが、私の手の中で確かに生きていた命の温み、鼓動、気のバイブレーションは、思ったよりも鮮烈で、あれが死を迎える直前の生き物の様子だというのがにわかに信じられませんでした。
そう言えば、最愛の祖母が息を引き取る直前も、深く大きな息を間断なく繰り返していたといいますし、私の前で息を引き取った人も皆そうだったように思います。
存外、死とは勢いのいるものなのかもしれません。
そして人も小鳥も、犬も豚も牛も、みんな同様にこの今を生きているということ言葉以上に教えてくれました。
私の柔の師、順心斎老師が、いまだ若かりし頃の話を聞いたことがあります。師は、ある事情から国外などで死地を乗り越えるような経験を幾度となくされて、上官を目の前で失ったような経験をお持ちの方なのですが、ある時、小鳥が自分の手の中で、安らかな顔で死んでいるのを見た時、急に死というものが身近で安らかなものだということを悟られてしまわれたそうです。
それ以来、絶妙の見切りを体得されたとのこと、今回の燕の死を通じて思い出したりしました。
私の場合は、そんな絶技は思いもよりませんが、命持つものの力つよさのようなものと、ぽかんとしたあっけなさ、そして目を閉じた燕の眠ったような美しい姿に心を揺さぶられております。
明日晴れたら、八ヶ岳の見えるところに塚を作ってあげたいと思います。
次の日おもったこと。
 
トラックに跳ねられた燕の雛を埋葬して、ふり仰げば青い空に、高く低く飛ぶ燕たち。
これから遠い旅路に向かう前に、最後の別れをしに来たのでしょうか。
燕を見ると思いだす、会ったことのない祖父のことー
...
祖父の所属した機関の秘匿名(コードネーム)は『燕』(つばくろ)でした。
皇国の捨て石になる為に、秘剣・日月流を磨きに磨き、同志たちと七洋に散りました。祖父の歩んだ道は秘され、その志は長らく明らかになりませんでした。
ある日、祖父の軍装鞄に残された絵日記から、暗号文が見つかり、その戦っていた相手を知りました。巨大な敵を向こうにに、仲間からも理解されないまま特務を全うした祖父。
もう一人の祖父は、立場として真逆の人生を送りました。
明治生まれでしたが、長男の特権をすべて放棄して世界革命運動に身を投じ、特高警察に捕まり過酷な拷問を受けました。
死ぬ間際に、手足のすべての爪の間に電極を差し込まれた跡を見せ乍ら、はじめてその半生を語ってくれたじいじい。
今で言うならば、極右と極左ですが、人類を憂う大きな愛に貫かれ、闘い続けた人生だったのだと思います。
騒乱を誰よりも厭いつつも、人々をそこから遠ざけるために自らその渦中に身を投じる・・・その意味においては、二人は同様の人生を送ったのだと思います。
一人の命、一人の行いに幾許の力があるのかはわかりません。
しかし、彼らの存在とその動向が、状況に新たなバランスを与えたのだということは間違いがないのだ、と今は考えています。
体術に於いて、ほんの少しの心身の変革が、中心の位置を変化させて、動きの方向性そのものを大きく変えてしまうことが多々あります。
意識的な探求を積み重ね、自立した軸を得るならば、その人の行為は体術的に見て『効く』ものとなります。
一人がその信ずるところに向かって、精魂込めて何かをやる、それだけで世界は新たなバランスへと向かうのだと思います。では、世界の未来は明るいのか・・・?それは神のみぞ知る領域のお話。残念ですが、人はそれを読む能力は与えられていないようです。
それでもよかったのは、このような視点を持つことができたお蔭で、相手がどのような主義を持とうが、その人の芯から出てきた言葉であるならば、それはそれで貴いのだと思えるようになったということでしょうか。
意気に感じ、楽しんで自分の個性を形作っていければ、それで最高なのではないでしょうか。
 

2015年8月12日水曜日

月刊「秘伝」に掲載されました!




今月号の秘伝誌は、八卦掌特集でした。
光栄なことに表紙に掲載されることに・・・ それにしても、撮影の時、予め先に言って下さい!!伺ったとき、ひええ!!と思いました。




さて、内容はお買い上げ又は立ち読み(推奨できませんが…)でご確認いただきたいのですが、「奇正相生」という八卦掌の要訣で、重要な割に今まであまり注目されなかった事に関して、ご紹介させて頂きました。



 拙い文章ですが、ご一読いただければ幸甚です!!

それにしても、憧れの臼井真琴先生や、他のお歴々の先生、そして尊敬する安田先生と、一つの本の中でご一緒できると言う幸運に、感謝なのです)^o^(



☆後日譚

沢山本を読んでいらっしゃる友人から、雑誌の「文章」を誉めていただきました!
こう云うの、嬉しいですね(^v^)b

私の師父は、私が拝師入門した時に「誠博」という武名をくださいました。
誠というのは、武術における真実、そして博は、ひろく物事に通じ、万象からその誠を浮き上がらせてくるのだ、というメッセージだと言うことでした。

 文武は表裏となって人を動かすというのです。

撲っても、検証が無ければ何も残らない。
学んでも使い物にならなくては、旦那芸に終わってしまう。
練磨とともに万巻の書を紐解き、先賢の眼目を顕わすべし!・・・そう教えられました。



 まさに奇正の相生が大事だと言うことなのでしょう。

そのような訳で、自戒の意味も添えて、自分の道場を「錬誠館文武道場」としました。

 両儀性こそが、次元をジャンプさせる手掛かりにもなる、ある「しなやかさ」を与えてくれるのかもしれません。

2015年8月8日土曜日

本日はちびっこ感謝デー!?

今日は昼、晩と、生徒さんのお子ちゃま、お孫ちゃまたちが遊びに来てくれました。
昼は子供らも一緒に棒術。いやあ、面白かった~!

夜は大人の稽古の傍らで、二人の画伯たちが先生を描いてくれました!
おじちゃんは目がハートになっちゃいました(^_-)-☆
いつもながら夏休みは和みます。みんな、また来てね~(*‘∀‘)


ちなみに、写真は忍者合宿に参加したℝくんの絵日記!興奮冷めやらぬ様子が男の子だなあ(笑)

およびノノ&ナナ画伯の先生像・・・「これは先生じゃなくって大木ボンドっちゅう人じゃないのかな?」 「なんで目が四つあるのかな??」・・・とかいって、むっちゃ描きなおさせました(笑)
                        うん!そっくりです☆

油照 蝉もじわじわ 我もじわじわ

丹田がね、あ、下丹田さんのことなんですけどね、
久しぶりにね、なんかじわじわと来やがるんです。

今年は信州のわが村も、高原のくせにやたらと暑い夏なんですが、更に腹があっちいもんで、汗がダラダラ出ているんですけれど、何だかこの内功感覚ってぇのは良いもんですね。下がじわじわ来ると、上はすっきりするもんです。

おいらは別段欲にかまけて、超能力中年バーベル弐世になりてぇってわけじゃあ毛頭ないんで、まあ修行って言うほどの行じゃなくって、興味の赴くままに、ご縁の導くままに、だらだらゆるゆる躰術をやっているだけですんで、こういった内功感覚って、じつはそんな頻繁にあるわけではないんですよ。

お恥ずかしい話、師父が、師爺が生きてこられたデッドオアアライブの時代や、柔術のお師匠が渡ってこられたマッドマックスな世界なら、それくらいの身体感覚を備えておかなくては術者として後れを取ってしまう。

また、思いっきり背伸びをしてこむらが返ってねん挫しまくったような、若き日の行者としての山林修行の世界でも、このくらいの感性は最低限必須、というか自然発生的に育まれるものでしょう。
でも、生まれがインファント島、育ちが千葉珍獣パークの私的には、そんなハードな現実は、いっこうに楽しくない。

 楽しくないことは、やっぱりどうあがいても続かないもんなんです。
これが判ったときはもう37すぎていました。え?遅いですか??ええ、まあ|д゚)

それから5年・・・背伸びする気力も尽きて、環境も変わりーなんだかんだで今に至っていますが、別段欲をかくでもなく、淡々と日々の生活を続ける中で、予期せぬ瞬間に、カラダの方でじーわじーわしてくれると「ああ、元気になってきたんだな」ってホッとするのです。
こういった楽しみが、稽古を続ける中にはあるものです。
ああ、これも一つの道なんだなあ、と想えるひと時なのです。

2015年8月5日水曜日

格物致知~分類するは我にあり☆

今日は久しぶり(と言っても10日ぶり)の葡萄酒・・・いや武道の会。

 強い老人にこってりと投げられてきますよ(*_*; もう明日のことが心配・・・(笑)

さて、雲南の兄弟子夫妻が無事帰国されたとのこと。...
今回はまったく・・・行き違いになってしまい失礼をしてしまったが写真からお元気そうな様子がうかがえ嬉しかった。
落合兄、本当にお疲れ様でした!



私もこれから一皮剥けないと・・・!


日本のもの中国のもの、そこに通底する一線。
細かいことはイイから、ザックリとでもイイから、共通の感覚言語を探っていきたい。
なによりも、それは自分のためになる。豊富な栄養素が詰まった、宝の貯蔵庫のように思われるのです。

細かいことこそ大事・・・という人、結構たくさんいる。

あの門とこの流儀のここがこう違う・・・とか、
その技って本当は~から来て、もともとはそこにはなかったのでは・・・とか、

 でもそう言う人のどれだけが、必要から出てきた言葉を語っているんだろうなあ。ぼくなんか短気だし、現実主義者なもんだから、すぐにしゃら臭ぇ!とか思ってしまう。

そんなもん、7割おんなじだったら、大体同じでいいだろうがよお!時代や地域が異なっている中で、そんなに類似なもんがあるって言う、奇跡の方に目ぇ向けろぃ!とか思っちゃう。

そこに拘る意味がわからないのだ。

もちろん学問は大切だ。人文系の学問として、体術流派を研究することに価値があることは重々承知だ。
しかし、旦那芸的、趣味人的な観点から細かいことに拘る人は意外と多い。あくまでもサブカル的に拘るのだ。それはまるでチョウの標本を収集するような感性に通じるのではないだろうか。
(むろんチョウ収集には何の意見もありませんよ!むしろ蝶は大好きです☆)

でも、世に達人と言われる人が、拘りこそすれ、その拘り方が違う気がする。
あるところは野放図なまでに大らか、あるところは厳格さに峻厳を極める・・・大事にしている点が明らかに違う。

 今までお会いした達人たちは、大体そういうメンタリティと観点を持っておられた。
その見つめる先には何があるのか・・・興味はつきない。

サブカルは、距離がある。人の生きる場所がない。
文化は、そこに人が息づく。何世代にもわたって、人の中で伝わってゆく知恵。
だからこそ躰術と言い、丹田文化と言いたい。

これからは私自身、そういった方向への傾倒が加速するような予感がする。そういった流れが、しっくりと来始めてしまったのだ。

 学問的観点が、世界を変えることは多い。
だれも見向きもしない分野をこつこつと開拓して、思わぬ地平を開いてしまう人たちがいる。

それと視点は違うけれど、現実的な、元も子もない「今さら」みたいな視点を持ち続けて、当たり前だと思われていた基底をあっさりと崩してしまう人もいる。


丹田とは、何で大切だと言われつづけてきたんだろう・・・考えれば考えるほどに、人が人として成り立つための重要な一点なんではないかなあ・・・などと妄想が膨らむ。
こんな元も子もないことを延々考えて今日まで来ております。

2015年8月3日月曜日

嗅覚は大事だな

昔っから、自分の弱点を晒すことにあまり躊躇はないほうだった。

まあ、それは今もだけど。若き日のその意味するところは、また大きく違っていたんだと思う。

人の見ていないところでも、矩を超えずに、自分の身の丈に合ったあり方で居たい。今ではそれが一番効率がいい、居心地がいい、納まりがいい、と言う事を知っているから、逆に中々逸脱することがない。

でも、自分の身の丈、輪郭、キモ・・・何一つわかっていない破廉恥な青春期の僕は、もうこれはやってみるしかない、と思っていた。


恥を知る・・・というコトバの本当の意味は、恥をかいてこそ、はじめて判る事なのだと思っていたな。むしろ何もわかっていない自分を、あるがままに知る事が大事なのだと、僕の鼻は嗅ぎ付けていたみたいだ。
だから躊躇なく、思いつくままの事をやった。当然いろんな人に誤解された。



それでも自分の心は自分だけが知っている!って思って、信じた道にひた走っていた。高いところからも何度も飛び降りた。
恥ずかしいことばかりの青春・・・でも、恥ずかしさが快感にならなくてよかった・・・(*‘∀‘)ホントカナ?

信じた道そのものが、何度代わっても、信じる主体の自分は寸毫も変わらない。
そんな経験を幾度か繰り返すうちに、ある信念が芽生えてきた。
自分に対する認識が、これ以上ない否定感の中で醸造されてきた、といえるかも。


どんなことがあっても。あほでも、軽薄でも、卑劣でも、情緒不安定でも、怠慢でも、ヘンタイでも、くそでもみそでも・・・ふたを開けてみてみれば、自分の本性って拍子抜けするぐらい立派なものだった。なーんだ!

だからいろんな人を見ていても、なぜか安心感がある。
もちろん文句はたらたら。世の中に意見有る事山の如し・・・ではあるんだけど。

それでもいろいろな星の関係のさなかで、地球が回っているように、僕たちもつながり合って生きている、生きられている