2016年9月30日金曜日

おばあちゃんの太陽日記


祖母が亡くなる寸前までつけていた『太陽日記』というのがある。

祖母は武家の本尊、摩利支天を尊崇していたようで、毎朝神棚と仏前に長い時間をかけて祈ると、決まって朝日に向かって日輪の印を組んで、大きな口を開けて両の掌の真ん中にある太陽の光を吞み下す動作をしていた。

『太陽を呑んじまうんだよ』と言っていたが、それが実際どこから来た教えなのか、今となっては良くわからない。...

ただ祖母の古いアルバムの中には、伊与久一党で上毛の山々を金剛杖を持って巡拝している写真がある。摩利支尊天や不動明王のご真言や、六根清浄など、私も良く教わったものだが、それらはそういった山での体験に関係あったと言えるのではないか。

そもそも我が家は真田忍軍とも謂われた吾妻衆の家系。修験密教との所縁も深く、その出自は山の民であった可能性も考えられる。

そんな祖母がある日『にいちゃん、今日は太陽の中にこんな字が見えるんだよう。』などと言い、ノートに鉛筆で描いてみせた。

それは僕から見ると字には到底見えないようなものなのだが、変体仮名を究めた祖母としては、立派に崩し字だということで、それから毎日朝の太陽を見ては、その中に浮かんでは消える字?残像??を読み取って、ノートにつけるようになった。

僕は『あのね、それは網膜が火傷をしてるんであって、字な訳ないでしょ?それにそんなことを続けていたら目が潰れてしまうからやめなよ!!』と、再三注意をした。実は祖母がボケてしまったんだと思っていた。

しかしそんな孫の心配をよそに、祖母の太陽日記は継続していった・・・!

そしてとうとう『にいちゃん、この日はこんな天気になるよ』とか『昼過ぎから誰々が来るよ』などと言いだしたのだ。
ああ、やっぱりボケちゃったんだな・・・と情けない気持ちになったものだが、不思議なのは、それが時に、というか結構頻繁に正鵠を得ている、つまり現実を予言している?ようなときが出てきたのだ。

『おばあちゃんはさあ、毎日神様の前で、広く真っ直ぐな道を歩くような気持ちで拝んでいるんだ。それで太陽を喰っちゃうと、身体中が真っ白な光で一杯になるんだ。そうするともうおばあちゃんが神様になっちゃうんだよ。だから怖いものはなんにもないんだよ。』・・・本当に晩年はそんなことを言ってケロッとしていた。

一度など、しつこい宗教の勧誘員に向かって『あんたたちの神様も立派な神様かもしれないけど、あたしも神様なんだから家にはもう神様はいらないんだよ!!』と言い放つのを傍で聞いていて笑い死にそうになったこともあった(*´Д`)

ここで書くとちょっとアレなので書かないが、説明できないような不思議なこともあったり・・・そんなこんなで実に面白い祖母だったが、遺品の中のどこを探してもも、あのちいさなノートはみつからない。お棺に入れて燃やされてしまったのか、それとも今もどこかに仕舞われているのだろうか・・・?
今あれを見たら、いろいろ面白かったのではないか?時々あの不思議な日々を思い出しては、にんまりとすることがあるのだ。


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