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2016年11月1日火曜日

岩櫃城忍びの乱に参戦して参りました!

昨日の晩に帰宅して、今日は一日ぺちゃんこになっておりました。

写真をアップして、飯を食って寝て、のくりかえし。夢で戦国の戦の情景を見てうなされました。リアルでした…

当時は人を殺せば、首を取れば褒章が出たのです。...
そりゃあ良い気持ちなんてありませんが、守るべきもののために、一所懸命やり続けたんです。
それが武人のステイタスだったし、そうでもしなければ自分たちのみが危ないのですから、これは大いに工夫をしてやったものです。
そのころSNSなんかがあったら、きっと獲った首やら殺した敵将の写真をあげる人も多かったことでしょう。

だからこそ無常感もこの上なく、双方の菩提を弔って、戦の後出家をし、心からの祈りを捧げて無名のうちに死んでいった、ということもたくさん、たくさんあったかもしれません。
武具や武芸の技なんかも、時代が変われば思い出したくもない、失傳するならば、それもまた、いやむしろ良いと思われたでしょう。今ではそんな気持ちもよくわかる気がします。

今回は私たちの先祖がそうやった生き抜いてきた地、戦国時代が最も最後まで続いたと言われる、吾妻の地の中心地、岩櫃城にて3度目のイベント、忍びの乱にお邪魔をし、先祖たちが磨き上げたであろう甲陽忍伝の技の基本を、当地のちびっ子と一緒に楽しんでまいりました。


そもそも忍者、という言葉すら存在しなかった天正のころ、伊賀甲賀で発生し、甲州でまとまったた山岳兵法を最も発展させ、正式な軍法として軍団を編成したのが真田氏だったと思われます。
忍者にして忍者に非ず、特殊作戦のプロ集団として彼ら吾妻衆は過酷な戦国の世を渡り歩いて行きます。

そんな先祖たちを育んだ吾妻、岩櫃の地において、大人も子供も楽しく交流・・・!当然敵味方となって相撃ちあった者たちのしそんであろう我々が・・・まさに恩讐を超えて、なのです。それもすんなりと。さも、当たり前のように!!

・・・まったく素晴らしき現代日本の情景ではありませんか!岩櫃が笑い声で一杯の平和の砦となったこの日、幾多の御霊たちもどれだけ慰められたことか・・・!!

先ほど夢から覚め、心の底よりそのように思うことができました。このイベントは、本当にやってよかったのだ、と。何よりの先祖たちへの餞なのだと確信した次第です。

この価値を噛み締めて、かたちは変われども、岩櫃でのイベント、これからも続けていって頂けたら私たちも嬉しいです。


内容のレポートはこちら。

去る10月29,30日、群馬県吾妻郡東吾妻町に位置する真田忍軍揺籃の地、岩櫃にて行われた『第3回岩櫃城忍びの乱』において、shinobiーzm代表の伊与久松凬が講演会『真田一族と甲陽流忍術〜真田十勇士の原像を訪ねて』および、吾妻流ちびっこ忍者道場をやらせていただきました。
また併せて、甲陽忍傳吾妻流の演武、忍具の展示な...ども行いました。



今回は天気も最高の秋晴れに恵まれ、第3回でスタッフの皆さんもこなれてきたということもあり、地方創成のイベントとしては素晴らしい盛り上がりを見せたのではないでしょうか。
おかげさまで講演会も体験道場も盛況のうちに終了することが出来、沢山の笑顔と出会えた喜びと、ほんの少しだけ先祖たちへの御恩返しができたのでは?という安ど感を覚えることができました。
リーダーの斉藤さんをはじめあざみの会さま、スタッフの皆様には大変お世話になりました。心よりの御礼を申し上げます。


さて、今回は真田忍者研究の徒にとっては特に素晴らしいことがありました。

吾妻や東信に調査に行くときには、常に『このあたりに忍びの伝承はありませんか?』と尋ねるのが常となっております。
今回も宿泊していた旅館の女将さんが、知り合いの方にすぐに電話をして下さり、善行寺平から真田様とともに岩櫃入りした地侍衆の一系の子孫の方とお話をさせて頂きました。
吾妻入りした年代が、私の先祖のころと近かったので、これは絶対に同じ隊伍にて出浦様の下軍働きをしていたということが解り、話に花が咲きました。
残念ながら直接的な忍び関係のお話はありませんでしたが、当時吾妻に蟠踞していた地侍衆は多かれ少なかれ山岳戦に特化した忍軍の態を成しておりましたので、広義の忍文化の申し子たちと言えるでしょう。

そして今回も私の講演会に、割田下総守重勝殿の末孫、割田喜一郎さんが聞きに来てくださいました。
割田さんは幼少のころ忍術を継承されていた御爺様から厳しく修業を付けられたという貴重な体験を持たれる方です。
吾妻に行くと必ず顔を見に出てきて下さり、貴重なリアルな忍びのお話を聞かせてくださいます。
今回も再開を祝してがっちりと握手。
星野様が持ってきて下さった天正?のころの鉄砲を構える割田さん。お土産まで頂き、まことに感謝兆畳_(_^_)_

また、その前日には当時入植された国友鍛冶の末裔、国友さんも遊びに来てくださり、鉄砲談義に花が咲きました。


さらにさらに!古城合戦の時にたった二人で城を落とした!とされる吾妻衆の最精鋭とも言える使い手、一場茂右衛門殿の末裔、一場様にも再会でき、今度伺ったときには一場氏の系図を見せてくださるというお申し出を頂きました!系図にはなんと真田昌幸様から感状を頂いた云々という記載もあるとのこと、この一場殿と私の先祖伊与久采女はやはり同じ時期に何度もともに合戦に従事しており、吾妻衆の中でも同期の桜とも言える?お家です(笑)一場さんも熱い心を感じる方で、お会いできて本当に嬉しかったです。


祢津潜龍斎殿の同族で、今も潜龍院跡の傍らにおられる町会議員の根津先生からは、今回も遅くまでお残り下さり、大変貴重なご教示を頂きました。


皆様から頂いたご縁とお心を、大切につなげて、ここ岩櫃で編成され真田の忍軍が、独特の文化的価値を持ったものだったという事を証明していきたいと、心を新たにいたしました。

2016年10月18日火曜日

行者杖の音

吾妻流として、纏めていかなくてはならないものに行者杖(金剛杖)がある。
中国の行者杖は孫行者で猿拳的だが、日本のそれは上に五輪を頂いた樫の棒で、役行者の伝統にあるのだろう。


これは僕の祖母とその親戚たちが妙義や榛名などの上毛の山々で修験の修行をした時に、お世話になったのかどんな関係があったのかは知らないが、法印さんと言って、在野の修行者がいて、その方が山を歩く時に使っていた杖の使い方らしい。


僕もその方の弟子筋なのか、息子なのか??山修行の先達さん(この人は本当に無口で、自分のことなどは殆ど語らない、謎の人だった(笑))について秩父や東北の行場を回ったことがあるから、祖母からというよりその方から多く学んだ。


いま、その方もなくなってずいぶん経ったので記すこともできるが、その頃は山に出入りしていても、その内容は他言無用ということだった(断食や瀧行、籠山行などはその方から学んだものです。何故多言無用だったのかというと、もともとそういった禁忌があったのか、おそらく民間の家でやっていて、宗教団体とは異なった儀軌だし、先達自体本職があったのですが、傍らでまじない、病気なおしみたいなこともされていたので、あまり目立ちたくなかったのではないでしょうか。)


歩き方や行者の杖の運用法(川衆とび・送り杖・繰り杖・数え歩きなど)は特にその本伝の内容ではないので、今思えば語っても良かったのではないか。(本伝の内容とは密教的なもの。所謂雑密ですね。)でも、口外すると佛罰云々と言われると、ちょっと怖かったというのもなきにしも非ず。

僕はその杖使いが大好きで、紹介状をかいてもらって伺った那智で誂えた2本目の杖を、今も大事に使っている。(あの時は決死の覚悟で行きました。5日間で紀伊半島を縦走、伯母子を超えて高野山につく時には足は血だらけ、目はギラギラだったです。一番真面目に行者をやっていた頃です。)




恐くて寡黙な先達曰く「杖がうまければ、50年たっても折れたりはしないもんだ・・・」
教えのお蔭か、それ以来行にあまり出ていないからか(笑)もう20年たった僕の金剛杖も、色こそ良い感じになってきたものの、底だけが丸くなっただけで、折れたりひびが入ったりはしていない。


この方の杖使いは、実に味があって、比叡の行者さんを彷彿とさせるものもあり、また武の内容もあり(昔は山で自衛する必要があったそうです)・・・これに祖母から学んだ数手の杖の技を錬りこんだものが、今の僕の行者杖となっています。

(★一時は薙刀や日月流の棒、形意棍術、八天無双流棒術、琉球古武道そしてこの行者杖を総合して(松風之棒)を作ろうとしたのですが、やはりそれには修行が足りない・・・あと20年練り直して、新たに一つ編めればいいかなあ、と思っております。)

2016年9月30日金曜日

おのれこそ、おのれがよるべ・・・

僕のとこにある(マキビシ)は、針のところに返しがついていて、一度刺さったら、肉ごと抉らなければ抜けないようになっている。
黒く燻されているので、薄暮時以降、外では絶対に見つからないだろう。


これはある鍛冶職人さんが博物館に収めるために試作したものを分けてもらったので、実際使われていた本歌ものでは無いが、昔使われていたものを基に忠実に再現して、悪意、害意がむき出しで形状化されており、禍々しいことこの上ない。

...
一説によると、撒く前には馬糞や人糞など、汚いもので汚してから撒く。破傷風感染を期待しているらしい。
刺さった人を放っておくこともできないだろうから、数名の追っ手の足を止めることができる。一度刺されば、侍ならばしばらく出仕はできまい、というかそれがもとで武士を廃業、切腹をするところまで追い込まれた人も居たかもしれない。


そういったものを、そんな話を聞かせながら、僕は忍者教室に来た子供たちに触らせている。
となりの子が、マキビシを持つ子を転ばせたら・・・
持ってよそ見をして踏んづけたら・・・
投げつけて目に刺さったら・・・
最初はそういう心配で身体が固まったものだった。
こういったものを純真な子供たちに触れさせていいのかな?という想いもあった。


でも、実際に持たせてみると、ふざける子供は一人もいない。だって、ふざければ大けが、悪ければ死んじゃうってすぐわかるものだから。
神妙に先っちょを触って、ぶるっと震えて、そーっと隣の子に渡す。片手で扱う子なんて滅多にいない。ここのところは大人よりもずうっと弁えた動きが出るので感心する。

「・・・みんな、こんな怖いものが、ばらまかれて落ちていたり、暗くなったら狼や山賊がいるような時代、みんなのご先祖さまたちは大変だったんだろうね・・・昔の戦の時代に生まれなくて、本当によかったよね!!」というと、素直にコクリと頷くのだ。




だってそうでしょう?街灯もある。お巡りさんもいる。飢饉で親に売られることもない。人さらいや野盗なんかがうろついているわけでも無い。何よりマキビシが落ちていない夜道の素晴らしいこと!!これ、みんなあたりまえだろ!って思ってませんか??


・・・平和が、水道の水のように当たり前になってしまった、この素晴らしさ・・・ここがわからなければ、皮肉なことだけれど、逆に治安は悪化の一途をたどるだろうし、実際そうなっているよね。
だって、当り前のものなんて、誰も大事にしないのだから。


でも、人間そんなに馬鹿じゃない。とくに小さい子供は。
それは当たり前、という感覚が大人のように手のつけられないような頑迷さを帯びてはいないからというだけ。だから本来(あたりまえ)は無い、ということに気が付かなくてはならない。
悪意や暴力っていうものが、世界には満ち満ちていて、そういうものからは毅然と自分で身を護る、という(あたりまえのこと)を、大人が感じていないし、教えてもいない。
今の平和を十分に享受して、感謝することなく、人任せだから、子供もそれに習っておかしいことになるんだ。


この世の中には、危ないものが沢山あって、それから身を護る、大切な者たちを護る、財産を守る、そうやって悩みながら営々と歩んできた歴史を鑑みて、今の私たちの環境が、有難く、ちょっとない素晴しい状態なんだ、ということに、「生活者の視点」から気が付くことが出来れば、私たち自身がもっともっとエネルギーをチャージできるのにな、とおもいます。


有難きことに気が付くことが、現実を肯定的にとらえて、人を活き活きとさせてくれる秘訣。
個人が活き活きとしている生活者の集団は、健全な張りが保たれ、自己免疫、自己浄化、自己防衛本能も蘇ると思います。

おばあちゃんの太陽日記


祖母が亡くなる寸前までつけていた『太陽日記』というのがある。

祖母は武家の本尊、摩利支天を尊崇していたようで、毎朝神棚と仏前に長い時間をかけて祈ると、決まって朝日に向かって日輪の印を組んで、大きな口を開けて両の掌の真ん中にある太陽の光を吞み下す動作をしていた。

『太陽を呑んじまうんだよ』と言っていたが、それが実際どこから来た教えなのか、今となっては良くわからない。...

ただ祖母の古いアルバムの中には、伊与久一党で上毛の山々を金剛杖を持って巡拝している写真がある。摩利支尊天や不動明王のご真言や、六根清浄など、私も良く教わったものだが、それらはそういった山での体験に関係あったと言えるのではないか。

そもそも我が家は真田忍軍とも謂われた吾妻衆の家系。修験密教との所縁も深く、その出自は山の民であった可能性も考えられる。

そんな祖母がある日『にいちゃん、今日は太陽の中にこんな字が見えるんだよう。』などと言い、ノートに鉛筆で描いてみせた。

それは僕から見ると字には到底見えないようなものなのだが、変体仮名を究めた祖母としては、立派に崩し字だということで、それから毎日朝の太陽を見ては、その中に浮かんでは消える字?残像??を読み取って、ノートにつけるようになった。

僕は『あのね、それは網膜が火傷をしてるんであって、字な訳ないでしょ?それにそんなことを続けていたら目が潰れてしまうからやめなよ!!』と、再三注意をした。実は祖母がボケてしまったんだと思っていた。

しかしそんな孫の心配をよそに、祖母の太陽日記は継続していった・・・!

そしてとうとう『にいちゃん、この日はこんな天気になるよ』とか『昼過ぎから誰々が来るよ』などと言いだしたのだ。
ああ、やっぱりボケちゃったんだな・・・と情けない気持ちになったものだが、不思議なのは、それが時に、というか結構頻繁に正鵠を得ている、つまり現実を予言している?ようなときが出てきたのだ。

『おばあちゃんはさあ、毎日神様の前で、広く真っ直ぐな道を歩くような気持ちで拝んでいるんだ。それで太陽を喰っちゃうと、身体中が真っ白な光で一杯になるんだ。そうするともうおばあちゃんが神様になっちゃうんだよ。だから怖いものはなんにもないんだよ。』・・・本当に晩年はそんなことを言ってケロッとしていた。

一度など、しつこい宗教の勧誘員に向かって『あんたたちの神様も立派な神様かもしれないけど、あたしも神様なんだから家にはもう神様はいらないんだよ!!』と言い放つのを傍で聞いていて笑い死にそうになったこともあった(*´Д`)

ここで書くとちょっとアレなので書かないが、説明できないような不思議なこともあったり・・・そんなこんなで実に面白い祖母だったが、遺品の中のどこを探してもも、あのちいさなノートはみつからない。お棺に入れて燃やされてしまったのか、それとも今もどこかに仕舞われているのだろうか・・・?
今あれを見たら、いろいろ面白かったのではないか?時々あの不思議な日々を思い出しては、にんまりとすることがあるのだ。


2016年8月11日木曜日

吾妻流『躰轉』

躰轉一つとっても段階があります。

①寝そべって片足の蹴りだけで反転する。

②上半身を反転させつつ、下半身は逆に蹴り正座で着地。

③上記の動きに背筋の伸展を加え、立膝で着地。

④立膝で着地するときに反転して再び伏せる。




昔の体術(少なくとも吾妻地方の)にはこんな身体使いが活かされていたらしい・・・

なぜ(らしい)というのかと言いますと、我が家で行われていたこういった(変な)身体遊びは、武芸躰術うんぬんという範疇では認識されていませんでしたし、これが活かされた武技という形で学んだことがないからです。


中国武術(長拳基本・蟷螂拳・峨眉派・八卦掌・形意拳など)の身体使いも、せんじ詰めればこういった奇正反転の動作というのがことのほか重要だということが、今だからこそ解ってきましたが、以前はこれとそれとの溝が埋まらず、また今より体重が20キロ以上も有ったので、再現も諦めておりましたもので・・・(*´Д`)タハハ・・・


でも、ようやっとこういった躰術と、伝統的な柔術や拳法の動作に関連性が見えてきました。「あ!これって武術の稽古だったんかい!?」みたいな感じです。

「おう!この転身を用いてじゃないとできない動作があるじゃあねえか!!」みたいな(笑)(例:丸身抜など)いまさらですが・・・


それだからこそ、子供たちにも躰術遊びを通じて、自己防衛やサバイバル能力の養成などをしていけるのではないかなあ・・・と、実感を以て考えられるのです。

2016年8月8日月曜日

体術関係、イベント目白押しです!!

忙しい~う~〜んなんて言ってるうちにもう8月!

これからさき、ドトーの躰術祭りに突入です(@_@;)

イベントが目白押しです。
どれも躰術に特化した、興味深いものです。
ご都合宜しい方は、ぜひ!!

①8月14日、伝統体術技法とその術理
https://www.facebook.com/events/197274117341713/
②8月21日、吾妻流忍術体験、大人と子供でスクーリング!
https://www.facebook.com/events/197274117341713/
③同日午後から夜、太和躰術協会、合同稽古会と暑気払い
https://www.facebook.com/events/1063264107102980/
④9月11日、第2回『武扇』セミナー
https://www.facebook.com/events/319668555034296/


           
伝統体術の伝道師として、死なない程度にがんばるぜ!!

2016年7月14日木曜日

カエルの剣道

子供には、理解できる範囲、頑張れる範囲というものがあって、それは大人のそれとは全く異質ですよね。 

でも、それを超えて、あえて擦りこんで行かなくてはならない習慣や技術というものがあったとすると、教えるほうの立場としては相当な覚悟や、子供に対する共感が必要だと思います。

無理強いもできない、しかし伝えるべきは伝えたい、という気持ち・・・
そんな気持ちを受け止めてもらえるように、大らかに、楽しげに、接していきたいと思います。

...
私が幼いころ、祖母は「お遊び」として稽古をつけてくれました。
虚弱で、気も弱く、根気も続かなかった私に、なんとか武道を、それも結構独自のものを印象付けるために、腐心したのだと思います。

青年期になり、バリバリ空手~中国武術をやっていた頃、祖母は時に竹刀をとり、また長刀を取って、やはり「遊び」の延長で伝授してくれました。


愚かな私は、祖母の技量が高いということなど、まったくわからないまま、むしろ逆に「相手をしてあげている」ような気持ちで祖母に向き合っていました。(このあたりの恥ずかしい話はたくさんあります(;´Д`))


この動画は、本当に幼いころに、短い期間行った「カエルの剣道」(蛙打ち)。何というものでもないのに、何故かとても印象に残っている素振りの一種です。

今、股が割れて太刀の身が立ち上がってみれば、やはりこれも歴とした轉坐・抜跳の前段階の鍛錬法でした。


私の代では、ほんのわずかに残った断片を、こういった鮮やかな印象を伴う要訣を手掛かりとしながら、志す人が、確実に出来るようになってゆく階梯というものを再創造して行かなくてはならない、と思っています。


雑草だらけの踏み跡みたいになってしまったこの道を、整備して、いつかは皆さんとハイキングに行きたいなあと思っているところなのです。

2016年4月23日土曜日

祢津潜龍斎昌月殿

テレビ収録も終わり、密岩神社前は撤収に入ります。
そこで思わぬサプライズが!
私的には二人のスターとの共演に勝るとも劣らぬ興奮(#^^#)の、念願だった潜龍院跡探訪に連れて行ってもらえることに!


寺の開基である祢津潜龍斎昌月は、武田家旧臣の修験者のまとめ役で寺島さん・・・でなく出浦対馬様の参謀として諜報ルートの要を握っていた怪人。
「真田丸」初回でも有名な天目山の武田崩れの前に、草刈さん・・・じゃなかった、真田昌幸公の命で武田勝頼公を迎える山城を作ったのがこの人物。
結局勝頼公は唆され、自ら退路を断って族滅の運命を辿られたのは皆さんもご存知の通り。

...
その潜龍院に、末孫で郷土史家の祢津先生自らご案内下さり重要で示唆に富んだお話を伺うという、何とも贅沢なひと時を与えられました。
祢津先生の家は本院である潜龍院から沢を下ったところにある子院を受け持つ家柄であり、代々修験、馬医、製薬に従事してきたという忍者の典型の様なお家柄。
本院からの呼び出しは、沢伝いに伸びる呼子で、それが鳴ると急いで沢を登っていったのだとか。
寺の後背は天を衝く岩櫃の大絶壁ですが、吾妻渓谷に向かった前側も巨大な岩で隠されており、向こうからは全くこちらに何があるのかわからないような、要塞としてはこの上ない立地でした。
この立岩がかの有名な「来福寺左京物見の岩」。

 来福寺左京も元武田家旧臣で、潜龍斎とともに真田の修験・忍者の参謀として活躍したといいます。

真田に忍者はいなかった・・・と言っている人が、いまだたくさんいますが、何の根拠で言っているのか甚だ疑問です??地元にはこういった痕跡がまだまだたくさん残っており、真田領、とくに吾妻は伊賀甲賀と並ぶ忍者の郷なのです。
 

いやいや、今回も素晴らしきリアル忍者を訪ねる旅になりました(^_-)-☆潜龍院は密岩神社から徒歩10分。あざみの会さんがうっそうとしていた跡地を綺麗に整備されて、今は広々とした気持ちのよい散歩コースになっています。

皆様もぜひ行かれて、ひとときを真田忍軍の夢の跡に思いを馳せてみては如何でしょうか。

2016年4月22日金曜日

群馬テレビ ジョイの「ジョイント」に出演して参りました。

真田忍軍吾妻衆の先生役ということで、こんど群馬テレビさんの人気番組「joint!」に出演することになりました。

色々な試練を、ジョイさんとゲストのタレントさんにチャレンジしてもらうという企画。
わたしはその師範兼審判役というのを仰せつかったようです。...
当稽古会でよく行っている礼法や訓練法を、面白くアレンジしてお二人に競って頂くということです。


お二人ともモデル出身で身体も動くので、ちょっとどうなるか楽しみです( *´艸`)
私のほかにも吾妻衆の末裔の方が来てくださるようです。こっちも大分楽しみなのです。
先祖たち吾妻衆が活躍した岩櫃城の大絶壁の下で、こんなイベントに立ち会えるなんて、本当に不思議な感じがしています。 週録は来週。どうなることやら・・・(^_-)-☆

そして当日!!
大きな行事の前、必ずと言っていいほど体調を壊すワタシ・・・こういうお試し、いい加減もうやめてイージーモードにならんかな(*_*;
でも、そういうときこそ「おもしれえじゃねえか!」って気合いで越えて参った。
今回も殆ど眠れずウンウン唸っていたのですが、本番!でスイッチが変わった(笑)

ジョイさんは気使いの名人。その場の空気を一瞬にして明るく楽しい雰囲気に変えちゃう。アドリブも当意即妙で、流石プロ!と思わせるオーラの持ち主。しかもイケメン高身長と言うハイスペックさ(^O^)/

ジュノンボーイでニンニンジャーな西川俊介君は素直で親和的な雰囲気の持ち主。イケメンというより美少年といったほうがぴったりな、私とは異世界の王子様でした(#^^#)
...
そんな群馬の素敵な若手お二人と、甲陽忍傳吾妻流を代表して諏訪の拙者と甲州の日原兄が、何のご縁のいたずらか先祖鴻業の地、岩櫃でご一緒させていただくことに…人生って本当に何があるか判りませんね~☆

ネタばらしはできませんが、吾妻流忍法5つの関門!ということで結構本格的な?修行と勝負をしていただきました。
たぶん…いや、絶対、相当面白い出来に仕上がっている感触がありました。

不慣れなお仕事に、いやな顔一つせずお付き合いくださった群馬テレビのスタッフのみなさん、送り迎えから何からお世話になった斉藤さんをはじめとした東吾妻町の皆様、仕事を休んで受けをとってくれた日原兄、そして紺碧の大絶景で我々を迎えてくれた岩櫃山!
本当にありがとう!!

http://www.gtv.co.jp/program/variety/joynt/ ジョイント、放映が待ち遠しいぜ~(^_-)-☆

2016年3月30日水曜日

出浦対馬守昌相様

ブログの閲覧が急に凄いことになっているので、どうなっとんじゃ?とおもっていたところ、こんなところにリンクされているではありませんか!うむむ・・・

出浦対馬様は我ら吾妻武士のお館様。

真田のお殿様が天下にその名をとどろかせることが出来たのも、出浦様配下の忍び衆をわが手足のように使い、情報の元を握っていたということと関係が深いでしょう。

私の祖先は情報系というよりは、弓馬鉄砲などに長じた野戦部隊のようなものだったそうで、いろいろ生々しい話もあったようです。

とにかく、今回の掲載は「光栄」なことと考えても良いのかもしれません。
でも、リンクを張るときは、一言いってほしかったぜ・・・|д゚)

http://matome.naver.jp/odai/2145423040196848401/2145423336500157803

2016年3月1日火曜日

鍵縄はあぶないから振り回してはいけません。

ついさっき道場の修繕をしていたら、富士見町の役場から面白い電話がありました。

 「あの、いま日本テレビのニュースゼロから問い合わせがありまして、イヨクさんに忍者の道具のことで伺いたいということなんですが、お繋ぎしてもよろしいでしょうか??」

 「…まあ、私のご協力できることはあまりないと思いますが」と申し上げて、電話をつないでいただきました。

「実は、今朝、紐の先に尖った熊手のようなものって、なんというのでしょう?ああ、そう鍵縄というんですか?包丁で人を刺してから、それを振りまわして警察官に威嚇発砲され逮捕された学生がニュースになっていまして、その本来の使い方って、実際どういう具合だったのか、もしよろしかったら実演していただければと思うのですが・・・」という内容にびっくりぽんでした。
...
そこで私は
①あれは登城器の中でも(鍵縄)と言って、振り回すのでなく城壁や木、高楼などに上るためのものだということ。
②振り回して攻撃といえば、中国の縄鏢や流星、銚子の石黒流の縄術が本道であること。
③今、鍵縄術を正しく伝承しているところはおそらく皆無に近く、私などは正しく動作をもって師範、説明することはできないので丁重にご辞退申し上げました。その代わりに、おそらくそれについても独自に練習されているであろう初見先生の武神館道場をご紹介させていただきました。制作の方、大変お喜びでした。

・・・こういうお話は、商売っ気があると、出来る出来ないかかわらず、これを好機と飛びつくのでしょうが、私にはそんな度胸はありません。

 以前ロンドンブーツの番組やパチンコの構成などにも出演や協力を依頼されましたが、そちらも同様、丁重にお断りいたしました。出来ないものは出来ません。だってやったことないんだもの。"(-""-)"ですからこれは、あくまでもネタとしてのご報告です。

★でも出来ることは喜んでご協力いたしますよ(*’ω’*)『真田丸』関係のお話し来ないかな~♪とかは120%思っています。(*’▽’)・・・★と、こそっとアピール(笑)

それにしても鍵縄振り回す子供なら、警棒立てておけば巻き付いて使えないでしょうにねえ…毒でも塗ってるわけあんめえし。でも鍵縄で威嚇して、包丁で刺す気満々なら、間合いというものを知らなければ、絶対ビビってしまいますね。こんなこと言って僕なら撃っちゃったかもしれませんね~(+o+)г・・・バーン!

 警察官の皆さんも、春が近くなってくるといろいろ大変ですね。刺された方も、このクソガキも、警察の方も、みんな大事無いようで本当によかったですね。

 

忍縁ふたたび・・・

AKM48(赤目四十八瀧)を後にした我々真田忍軍AGS007(吾妻7騎衆)末裔一行(笑)、次なる忍者伝承を求めて山懐に抱かれた某所へ移動でござる。

ここは伊賀をさらにこえた大和の宇陀郡、ものすッごい山の中。家は山の尾根尾根に張り付くように立っている、まさに隠れ里のようなところ。
実はここに来る前に御土産物屋上田やさんのお爺さんが忍者の末裔で、銅銭を綴った鎖帷子(重そう…)や忍術道具が伝わっているということを伺い、早速行ってみる…となんと、おじさんはご不在(;´Д`)

写真は、柏原城で、籠城に備えて植えられたお茶の樹が野生化したもの。

折角来たのだからと気を持ちなおし、摩利支天様に祈念しつつ、付近の方いろいろに根掘り葉掘り聞き込みをしてみたところ天祐あり!あるおばちゃん曰く、実はある古忍の末裔が山の奥にお住いだということで、そちらの住所を聞いて訪ねてみることに…

と、やって来てみても、山仕事の人たちのほかは出会う人もおらず、行き合うことも難しいような細い山道の連続で、(ホントにここかいな)と正直不安になります。おばさま曰く「あの何とかって橋を渡って、大きな杉の樹かな?松かな??あそこを左に云々、道なりにまっすぐ行って、すぐ,スグって言ってもね、あんた歩いたらエライよ。車でそう、15分…30分かなあ??じゅうしょ?そんなのあんた、おばちゃんにはわかんないよ!」みたいなアバウト且つ頼りになる情報を頂いたので、まあそれしか手掛かりがないわけですな。でも自分の勘と忍縁を信じて突き進む(それもノンアポで)が松凬流で御座候・・・∵(゚ε゚(○=(*゚▽゚*)バシ!

・・・というか道はこの一本しかないから仕方ないし、引きかえすにもUターンしづらそうだし、あのおばちゃんも「まーまー大丈夫!そんな人じゃないから」と、なんとなく請け合ってくれたわけだし(まーまーそんな人って何だろうとか不安に思いましたが)行くしかないっす、ってな感じで奥へ奥へと進んだのでした。


そんな折、突然ぱあっと視界が開け、明るい谷筋の民家が数件ある集落につきました。「ここか!」とは言えども人影もなし。すると、小高い丘の上に集会所のようなところがあり、芝生にテーブルを置きティータイムをされている優雅な三人のおじ様方と目があいました。

「うおっ!第一村民発見!」これを逃す手はないですばい!と、今日はダーツの旅のAD風なテイストで(何しろ忍者ですから)「お取りこみのところすいませ〜ん、このあたりに忍者●●様の末裔の方がお住いって聞いてきたんですが~??」

・・・すると意外な反応が。

おじさん①「●●?あんた●●さんに何の用があるの?」(ちょっと探るように)

松「あ、私じつは長野の諏訪から参りまして、私の家に僅かに伝わった忍者の伝承を調べると、どうしても伊賀と甲賀にその源流があるということが判ってまいりまして・・・」

おじさん②「へえ・・・でも、普通誰かの紹介で会うものでしょ、アポイントなしで会おうなんて無いでしょう。(ジロジロ)」

松「ウッ…(バリバリ正論)そうだと思います。ですが、先ほど思いがけず○○さん(おばちゃんの名前)からこちらのことを伺い、失礼とは存じながらもいてもたってもいられず…(汗)」

おじさん③「・・・わかった。あんた本当に運がいい。ここにいる(おじさん②)が、●●の直系、●●さんだよ。」 

松「ひぇっ‼そ、そうとは知らず、失礼いたしました‼」

なにこの神展開!?と思いつつも、話すよりこっちの方が早い、と二人で道之礼法から躰轉しての刀刃避けや手裏剣の形をお見せしたところ、疑念を解いてくださり「それはそれは遠いところからよくぞおいでくださった・・・」と、親しくお話をしていただき、コーヒーまでご馳走になってしまいました(*'ω'*)b忝し!

 緊張も解けて、二言三言お話をする間に、私の祖母や割田さん、岩櫃の富沢三郎さんや祢津先生が言っていたことと同様のことを、深くご存知であるなど、この方は間違いなくその道の方だと確信するに至りました。忍びの道は忍び、ということでありましょうか★

●●さん(ご迷惑をお掛けしたくないので、写真や実名は控えさせていただきます)方は、せっかくの団らんのひと時を、時間が許す限りお付き合い下さり、いろいろご教示をくださいました。

忍者という言葉は最近の括り方で、もとは地の侍衆で、諜報や特殊任務のプロ集団といった方がよいということや、伊賀でも元々は我が家と同様棒手裏剣が主流で、中には木の棒の先に刃を仕込んだものもあったということなど、とても肯首できる内容で、武器や伝書も先の大戦のどさくさや供出で、多くは失われてしまったということなど、我が家と同様のご苦労を辿られたことも推察できる一面もありました。

そして特に印象深かったのは「忍びとは、自然や環境を有効に味方にして咄嗟の場合でもわが身や大切な存在を守ってゆくという考え方なのだ」ということです。これは、中々普通の人には言えないことです。大変素晴らしい教えを頂いたと感謝しております。一緒にいたおじさんたちも「●●さんとは長い付き合いだけどこんな話はじめて聞いたよ…」と、驚かれていました。

●●さんとは再会を誓って住所を交換していただき、「私はまだ仕事があるけれど、家の方には妻が居るから、行っていろいろ見てくるといい。」と有難くも忝いお言葉。ご厚意に甘えてさらに少し行ったご自宅へ。
奥方様も大変品の良い方で、突然の闖入に最初は驚かれていましたが、先ほどのことをお話すると「まあ、主人とお会いなさったのですね…」と嬉しそうにお迎え入れ下さり、天正伊賀の乱当時の漆黒の大黒柱に触れさせていただいたり(!)、地方に伝わる数々の貴重なお話をしていただき感銘を受けました。そして大河ドラマ真田丸の出浦対馬守の話になると「毎週楽しみに見ています。これからも見る楽しみが増えました。」とのこと。

それにしても、これは偶然といっても少し出来過ぎのような気がいたします。私が忍活を始めてからまだ一年弱ですが、岩櫃から始まって、甲賀、伊賀、そして諏訪と、出会うべき方がたと出会い、急速に何かが繋がってきているのを感じます。なんというか物凄い忍者への『引き』を感じて、少し怖いような気持ちすらします。どれもこれもわが守り本尊、摩利支天様のご加護なのでしょう・・・
伊賀忍者の非常食が郷土の味へ。

ともあれ、胸いっぱいのわくわく感を抱えて、一行は諏訪盆地目指して帰途についたのでした!お会いできた皆さまとの「忍縁」に感謝☆感激でござる(*'ω'*)ノ

2016年2月26日金曜日

抜跳(ばっちょう)!!

祖母が語っていた吾妻の刀術、抜跳(ばっちょう)。

二間向こうまで、抜きながら跳んで斬る、という至ごく単純な技。
名人だった割田さんのお爺さんは、実際二間以上飛びながら抜刀していたという。

そのために必要なのが猿渡(さわたり)という独特の身体使い。
これは背中を膨らまして後ろにバランスを崩し、その後反りかえりながら反転、横ざまに足を引き付けて飛ぶ・・・って、無理(;´Д`)

再現しようと躍起になっているのですが・・・刀入れてやっと一間半・・・躍起じゃなくって抜跳しなくてはならんのですナ、ホントは。今度、柔道用の投げ込みマット買うから、そうしたらまずは着地無視してガンガン飛び込んでみようかと…それでフォームができたら帯刀しないと危なくて仕方がないです。

明日は伊賀忍者の郷、隠の赤目48滝にて忍者修行の見学(*'ω'*)
八ヶ岳にもこの風、ふいてこ〜い!! 

2016年2月9日火曜日

「忍者ってナンジャ?」~真田忍学ことはじめ,円満終了しました!

さる一月末日、信州は諏訪郡富士見町の36(サンロク)さまにて、「忍者ってナンジャ?」~真田忍学ことはじめ~が開催されました。ご参加いただいた皆様、雪の積もる寒~い中、誠にありがとうございました。

歴史ファンの方、遠く関東から来てくださった方、里帰りのタイミングでご参加くださった方、お知り合いのご紹介で来てくださった方、そして古流武術を真剣に探究されている先生がた、色々な皆さまに拙講演を聞いていただきましたこと、心より感謝申し上げます。

摩利支尊天をお祀りし、普段はモダンな三六さんの雰囲気もガラリと変わり、まるで道場のような厳粛な雰囲気の中始まる・・・と思いきや、そこは私のこと、結局は無手勝流の話題があっちに飛びこっちに迷い・・・的な講演になってしまいましたがご参加の皆様の辛抱強さと寒さへの耐性のお蔭で、なんとか無事講演を終えることができました。

...
慣れない演武を行った二人ともに、畳2畳、しかも薪ストーブの脇という過酷な設定に戸惑いながらも一所懸命行わせていただきました。お目汚しでしたが、今までほとんど公開することがなかった、私の家のささやかな伝承を見ていただけたことは嬉しく、今度はもっと上手にやろうなどと今から画策している次第です(*'ω'*)b

講演の中でもお話させていただきましたが、こんな時代だからこそ、大人も子供も一緒に、真面目に忍者ごっこを楽しんで行ければと願っております。昔ながらの心身の知恵と、私たちの歩んできた歴史を、ともに伝えて行ける「体術の語り部」としても、今後も歩んで行きたく存じております。引き続き皆さまのご理解とご声援を承り乍ら、前進して行きたく存じます。
今晩は楽しゅうございました!有難うございました!!


★第2弾も企画中です。今度は体験型のイベントをしたいですね(*'ω'*)
お楽しみに!!

2016年1月12日火曜日

富士見36さんで真田忍者学コトハジメ!

去年から突然始動した、拙者の吾妻流忍者としての活動。

今年一発目は地元高原の町、長野県諏訪郡富士見町の面白スポット、36(サンロク)さんを舞台にひと暴れに御座候!

真田丸ブームにあやかって、たくさんの人たちに、古き良き体術文化にも触れて貰いたく拙者がんばっちゃうぞ(^^)/…★
...
1月28日は、富士見36にて拙者と手裏剣シュッパーン!でござる(^^♪

https://www.facebook.com/events/438602366336876/

内容は、こんな感じです。

【内容】
上州吾妻は、今年の大河ドラマ「真田丸」でも大注目の戦国武将、真田一族と、その忍者軍団「草の者」揺籃の地です。後に猿飛佐助や霧がくれ才蔵など、真田十勇士のモデルともなったといわれる吾妻七騎衆を先祖に持つ武術家、伊与久松凬さんが、忍者とはどんな存在なのか、どんな技を使っていたのか、どのような歴史を辿ってきたのかなどを楽しいトークと武術の実演で紹介してくれます。教科書に載らない歴史に興味のある方、忍者にロマンを感じる大人も子供も、みんなで楽しく忍者学事始めをしましょう。

【講師経歴】
伊与久松凬 本名大吾、武名、誠博。1973年生まれ 東京学芸大学美術科、上海大学卒業 上州真田家旗下、吾妻七騎衆伊与久党の末裔。幼少のころより祖父母や父、数名の明師につき躰術、礼法、棒術、刀術、空手、柔術、手裏剣術、中国拳法、太極拳、気功などを学ぶ。2015年、現代人が楽しくいにしえの身体の知恵を学べるようにという目的で「吾妻流躰術」を創始。現在富士見町先達の錬誠館文武道場を中心に、北は北海道、南は九州まで、身体文化の伝道者として活躍中。

【定員】
20名

【参加費】
1500円(ワンドリンク付き)
中学生以下無料...
高校生は半額となります。

トーク終了後は希望者で懇親会を行います。一品、ドリンク、アルコール持ち寄り歓迎です^ ^

2015年11月4日水曜日

第2回、岩櫃城忍びの乱に参陣して参りました!


岩櫃城忍びの乱、楽しんでまいりました!

主催の斉藤様をはじめ、スタッフの皆様、出演者の皆様、本当にお疲れ様でした。
初めてで不慣れであるにもかかわらず、不自由のないように頑張ってくださった皆様に御礼申し上げます。
 
斉藤様、祢津様、剣持様、富沢様、渡様、そして割田様!!皆さん吾妻武士のご子孫にあたる方がたです。 皆様の寛大で、献身的な郷土愛のお蔭で、何百年もの時を超えてわが伊与久党も、岩櫃再入城を果たすことができました!!

岩櫃の謎を追い続ける、吾妻の語り部「あざみの会」の皆様と。
左の方が富沢さん、私のお隣の和服の紳士が根津さん。皆さまには資料を提供いただいたり、貴重なお話をいろいろとご教示頂きました!

そして、今回やっとお会いすることができた、悲運の吾妻忍者棟梁、割田下総の末裔、割田さん。割田さんの家でも、子供のころは手裏剣を御爺様がされていたとのこと!打ち方や構えまで我が家の伝承とほぼ同一でした(*'ω'*)!
こぶし鍛えや、軽身、飛び六方のお話など、まったく・・・ついこの前までできる方が居られたのですね!感動いたしました。
私の拙い体轉や、飛び抜き、猿渡などをご披露したところ、「うちのお爺さんも似たようなことをやっていた」とのこと!!
これからも吾妻衆に伝えられたと思われる「甲陽」の技の失われた片鱗を、寄せ集めてまいりたいと思う所存で御座候!!

この吾妻領の旧家の皆さんは、真田家の忍者、祢津潜龍斎亘月や、吾妻衆富沢氏、割田下総のご縁者など、今に至るまで後裔も数多く、そういった方たちが真田や忍者の研究に本腰を入れてくださるというのは本当に心強いことです。
皆さまのお蔭で、遠祖鴻業の地にて「吾妻衆」と「真田忍軍」についての講演をすることができました!心より感謝を申し上げます。
来年の真田丸ブームに乗って、月刊誌上にて拙稿「幻の真田忍軍」を紹介出来たらなあと思い、担当の方と目下調整中です。

忍びの乱では、本当にいろいろな方との出会いがありました。
東吾妻を代表するお菓子処「藤井屋」の上原さん、上原さんのお宅には貴重な「影流目録」や各種伝書が伝わったいます。
そして上原さんのお友達の、鉄砲鍛冶で一世を風靡した名人国友の末裔、国友さん、そして甲冑大好きお兄さんもご一緒に・・・パチリ!
皆さんとお会いできてとても嬉しかったです!
 また、可愛い忍タマたちもたくさん来てくれました(^^)/〜★

ちなみに最後の一枚は、甲冑集団「式」と、舞妖衆巫雷の皆さんと、ポーズ!!講演と重なって、皆さんのステージがみれなかったのが残念(-_-)
甦れ!真田吾妻忍軍!!

 

2015年10月29日木曜日

吾妻流躰術由来

明日からいよいよ岩櫃入り!10月31日、11月1日は、岩櫃城忍びの乱第2回秋の陣ずら!

ご先祖様の地で、ウン十代のちの子孫が、子供たちと忍者体験!こりゃ、おんもしれえぞ!

さらに、講演『幻の真田忍軍〜真田忍学ことはじめ』の講師も仰せつかってしまいました!お時間ご都合宜しい方は、是非おこしくだされい!


吾妻流躰術由来  Agathuma-ryu-taijyutu

戦国の昔、天下は麻の如く乱れ、上州吾妻の地も又打ち続く戦乱で疲弊窮乏を際む。民は郷士と呼ばれる地侍の下、刀戈を手に自郷を守りたり。

 真田氏岩櫃入城をなし上信に覇を唱えし折、山谷深険なる地故、熟達の忍者を以て自軍を令導せしむる。ここに吾妻の郷士、訓練編成され山国真田の守りとなりたり。世の人「吾妻衆」と呼び其の勇猛果敢神出鬼没は「真田天下一の武士」と称されし基(もとい)を築きたり。

 伊與久(伊与久・五十久・伊能)氏は上州新田義貞が御家人、五十久弾正が末なり。一族郎党代々弓馬の道を以て経世す。英名を慕いて真田旗下に参じ吾妻衆の一翼を担いたり。

伊與久氏末孫・伊与久大吾源誠忠、武号松凬、幼少より文に親しみ武を好み、道を尋ぬるに千里を厭わず。遠祖の鴻業を仰ぎ研鑽し来たる武芸体術に工夫を加え「吾妻流躰術」を興すなり。

自らを鍛えること余念なく、郷土を守りたる先人の志に習い、未来を担う子供達の健全なる成長と自立に捧げる武道体術なり。

                             吾妻流躰術初代 伊与久大吾源誠忠 謹白



こんなん作ってしまいました(^^)/〜★
どうせ遊ぶなら、ここまで真剣にやらないと、面白くないよね。
ちびっこ達、待っててね!!