2015年12月12日土曜日

やっぱり春夏冬(あきない)稽古の記

先日の北杜市・吾妻流稽古会は、1人お休みで6名の参加でした。
 
そろそろ寒くなってきたので、打ち込み稽古から始まり、躰轉、棒を使っての入身、入身当、桁取、絹絞、蛤手、曳梃・・・と一通りのメニューを消化。
 
 
 
素晴らしい好奇心と、集中力で稽古に没頭する面々に、教えるほうも思わず熱がこもりますよ!あっという間に2時間が過ぎました。
 
 
 

今日は小手の動きで相手の抵抗を「吸い取る」ような面白い技法を経験してもらいました。すれ違うように掛けられると、力がある人も倒れることがあります。技は完全なものでは無いので、その裏に流れる本意に目が行くような教え方を心掛けています。
 

松凬の棒。入身打ち込み。四つの面が平らにならないといけません。


 
 

平常運転ならず

昨日から今日の昼過ぎまで、ずいぶんゆったりと過ごせました。

要件って重なる時は重なるもので、当然あわただしく大変だと気がつまる。

 反対にゆったりしていると鷹揚な、おおらかな気分になる。

これこそ凡夫の凡夫たるゆえんでして、僕なんかすぐにアップアップしちゃって舵を切り損なっちゃいます。


だから緊張感の中、目一杯に働いている同世代の方々のお姿を見聞きするにつけ、到底自分では不可能な境涯を受け入れ、そこを錬磨の道場と見なして歩まれるありように畏敬を感じます。


不安定の中にバランスを、慌ただしさには落ち着きを、ゆったりしているときこそ日常心ではなく平常心を思う。

そう言う平法の覚悟に到徹した者をこそ非凡と呼び、道を尋ねたいものです。そんな修道の士がおられたら、それこそ天下の魁師として尊び、その見識に耳を傾けたいと思うのです。


午後は、あずさに揺られて東京へ。異常気象でダイヤは乱れ、遅れて到着しましたが、そのぶん変化に富んだ雲と虹と太陽のドラマを見ることができご機嫌でした。



    雲間より 臨む眸や 摩利支天 かぎろひ照らす 甲斐の奥山

それにしても、今日び子供でも空の虹をじっと見たりってしないんですね。八ヶ岳の上空に凄い二重の虹が出ていて、いい年したおっさん(僕)が写真なんかとってる横で、下を向いてスマホやってましたよ。あんなに綺麗で壮大なものなのになあ・・・



   八葉の 蓮の台の 峰々に 架け渡さむと 虹の橋立 

                                                                                                           松凬

2015年12月7日月曜日

意志

やけくそになりそうになったり、捨て鉢になったりして、それを行動に起こそうかというとき、不思議と『止め』がはいることが多い。

それを無視して、あえて覚悟して行う、ということがあるが、そういう時は好ましくない結果になることが多いような・・・。

でも、それでも悔いることまで丸抱えする気持ちが、覚悟というものだから、そうする以上は全部自分の責任において好ましくない結果を受け止めるしかない。


折角・・・と思うことも多いけど、馬鹿だなあ・・・という人も居るけれど、やらなかったら自分が腐る、というときはどんなに止めが入っても無視することにしている。

そうすると当然ドツボにはまり込む。

以前は無意識でスルーしていたが、今は確信犯的にそんな『天の声?』を無視することも・・・ある。こういった心理は我ながら理解に苦しむ。

お利口な人生ではない。できることなら器用に生きてみたいのだけれど・・・