2016年4月23日土曜日

祢津潜龍斎昌月殿

テレビ収録も終わり、密岩神社前は撤収に入ります。
そこで思わぬサプライズが!
私的には二人のスターとの共演に勝るとも劣らぬ興奮(#^^#)の、念願だった潜龍院跡探訪に連れて行ってもらえることに!


寺の開基である祢津潜龍斎昌月は、武田家旧臣の修験者のまとめ役で寺島さん・・・でなく出浦対馬様の参謀として諜報ルートの要を握っていた怪人。
「真田丸」初回でも有名な天目山の武田崩れの前に、草刈さん・・・じゃなかった、真田昌幸公の命で武田勝頼公を迎える山城を作ったのがこの人物。
結局勝頼公は唆され、自ら退路を断って族滅の運命を辿られたのは皆さんもご存知の通り。

...
その潜龍院に、末孫で郷土史家の祢津先生自らご案内下さり重要で示唆に富んだお話を伺うという、何とも贅沢なひと時を与えられました。
祢津先生の家は本院である潜龍院から沢を下ったところにある子院を受け持つ家柄であり、代々修験、馬医、製薬に従事してきたという忍者の典型の様なお家柄。
本院からの呼び出しは、沢伝いに伸びる呼子で、それが鳴ると急いで沢を登っていったのだとか。
寺の後背は天を衝く岩櫃の大絶壁ですが、吾妻渓谷に向かった前側も巨大な岩で隠されており、向こうからは全くこちらに何があるのかわからないような、要塞としてはこの上ない立地でした。
この立岩がかの有名な「来福寺左京物見の岩」。

 来福寺左京も元武田家旧臣で、潜龍斎とともに真田の修験・忍者の参謀として活躍したといいます。

真田に忍者はいなかった・・・と言っている人が、いまだたくさんいますが、何の根拠で言っているのか甚だ疑問です??地元にはこういった痕跡がまだまだたくさん残っており、真田領、とくに吾妻は伊賀甲賀と並ぶ忍者の郷なのです。
 

いやいや、今回も素晴らしきリアル忍者を訪ねる旅になりました(^_-)-☆潜龍院は密岩神社から徒歩10分。あざみの会さんがうっそうとしていた跡地を綺麗に整備されて、今は広々とした気持ちのよい散歩コースになっています。

皆様もぜひ行かれて、ひとときを真田忍軍の夢の跡に思いを馳せてみては如何でしょうか。

2016年4月22日金曜日

群馬テレビ ジョイの「ジョイント」に出演して参りました。

真田忍軍吾妻衆の先生役ということで、こんど群馬テレビさんの人気番組「joint!」に出演することになりました。

色々な試練を、ジョイさんとゲストのタレントさんにチャレンジしてもらうという企画。
わたしはその師範兼審判役というのを仰せつかったようです。...
当稽古会でよく行っている礼法や訓練法を、面白くアレンジしてお二人に競って頂くということです。


お二人ともモデル出身で身体も動くので、ちょっとどうなるか楽しみです( *´艸`)
私のほかにも吾妻衆の末裔の方が来てくださるようです。こっちも大分楽しみなのです。
先祖たち吾妻衆が活躍した岩櫃城の大絶壁の下で、こんなイベントに立ち会えるなんて、本当に不思議な感じがしています。 週録は来週。どうなることやら・・・(^_-)-☆

そして当日!!
大きな行事の前、必ずと言っていいほど体調を壊すワタシ・・・こういうお試し、いい加減もうやめてイージーモードにならんかな(*_*;
でも、そういうときこそ「おもしれえじゃねえか!」って気合いで越えて参った。
今回も殆ど眠れずウンウン唸っていたのですが、本番!でスイッチが変わった(笑)

ジョイさんは気使いの名人。その場の空気を一瞬にして明るく楽しい雰囲気に変えちゃう。アドリブも当意即妙で、流石プロ!と思わせるオーラの持ち主。しかもイケメン高身長と言うハイスペックさ(^O^)/

ジュノンボーイでニンニンジャーな西川俊介君は素直で親和的な雰囲気の持ち主。イケメンというより美少年といったほうがぴったりな、私とは異世界の王子様でした(#^^#)
...
そんな群馬の素敵な若手お二人と、甲陽忍傳吾妻流を代表して諏訪の拙者と甲州の日原兄が、何のご縁のいたずらか先祖鴻業の地、岩櫃でご一緒させていただくことに…人生って本当に何があるか判りませんね~☆

ネタばらしはできませんが、吾妻流忍法5つの関門!ということで結構本格的な?修行と勝負をしていただきました。
たぶん…いや、絶対、相当面白い出来に仕上がっている感触がありました。

不慣れなお仕事に、いやな顔一つせずお付き合いくださった群馬テレビのスタッフのみなさん、送り迎えから何からお世話になった斉藤さんをはじめとした東吾妻町の皆様、仕事を休んで受けをとってくれた日原兄、そして紺碧の大絶景で我々を迎えてくれた岩櫃山!
本当にありがとう!!

http://www.gtv.co.jp/program/variety/joynt/ ジョイント、放映が待ち遠しいぜ~(^_-)-☆

2016年4月12日火曜日

古池の布袋葵の花のごと浮いて根を張る浮御堂哉

子供のころ、祖母が「兄ちゃん、浮御堂っていうお堂があるんだよ」と言って、やおら立ち上がると「ほら、こんな風に、風が吹いたらスーーーっと、湖の上をお堂が滑って行くんだよ」
普段でも身が軽い祖母の身体が、まるで紙で出来た人形が風に吹かれるように一層軽く、畳の上を平行に移動して行きました。



「兄ちゃん、お侍はね、風に乗るみたいにしていたから沢山の敵に囲まれても怖くなかったんだよ。山の中でも谷でも砂の上でも風は吹いているからね。どんな重いお堂だって、水に浮いてれば風でスーッと行っちゃうんだからねぇ・・・」...
そう言って祖母は薙刀や刀を、まるで玩具のように取り扱って見せてくれたものでした。


・・そんな風景が、この風の強い八ヶ岳に住むようになってよく想起されます。
浮御堂という言葉の印象自体は、よほど強かったのですが、それが具体的な武術の身体運用の秘訣だったということが理解できたのは、祖母が亡くなってずーっと経ってからのことでした。
○弁天号から竹生島を望む

八卦掌や太極拳を錬り、奇正相生が体現されてくると、歩みの中に陰陽を相齊させる陰中之陽と陽中之陰の作用が出てきます。
身体を斜めに、まるで梁の様に補いリードするこの感覚が生まれることで、自分の身体使いは(あくまでも当社比ですが:笑)滑らかになり、今のバランスの状態を自覚することがより精密になってきました。


中国の師父に「浮力」の養成だということで頭の上に盃を載せられ、幾つかの型を学んだときのこと。
祖母もまた、頭にものを載せたり、手のひらの上でものを直立させたりすることが巧みだったことが思い出されてきました。
私自身は軽業師・大道芸のようなことは、正直嫌悪感がありましたので、あまり真面目に受け止めなかったものでしたが・・・思えばこれが浮御堂のための訓練だったのだ、と理解が追い付き、点と点が繋がったのは、恥ずかしながらつい最近のことです(◞‸◟)


そんなこんなで、この前琵琶湖に行ったとき、浮御堂の実物を見てやろうじゃないか!と思い調べたところ・・・
なんと!堅田の浮御堂は湖の上に「あたかも」浮いているかのように建てられた、立派な「不動産物件」だったのでした!!
風が吹いたところでしっかりと基礎が地面に作ってあるので、ソヨとも動かない本物の浮御堂を知って「なんだよ婆さん!全然浮いとらんやないかーーーい!!」と突っ込んだのは当門の秘密・・・★です(笑)

鰯の頭も信心と言いますが、イメージを想起させる良いコトバが、人の身体すら変化させることもある、というお話です。

☆後ほど調べたら、琵琶湖だけでなく全国各地に浮御堂は作られているらしいです、ひょっとしたら実際浮いているような作りのものも、過去あったのかもしれません。念のため。

2016年4月11日月曜日

春、『武扇』をはじめてみませんか?

八千代稽古会の会場になっている公園は桜の名所。

花曇りの蕩風そよぐ中、桜色の野辺にて舞う武扇の心地ちの良さよ!



...
舞う姿は優美なれど、その姿形には勁を秘め、気韻生動するさまは龍が遊び鳳が羽搏くが如し・・・身体の融通性を導き出す素晴らしいボディ・アーツだと思っています。
詳しくはまたお知らせいたします。ご興味ある方は、ご一緒に舞ってみませんか(∩´∀`)∩



『武扇』は、扇舞の表現を借りて、内功武術や柔術、剣術の理合いを探ってゆける新しいボディ・アーツとして私、伊与久松凬が創始しました。

姜氏門八卦掌の歩法と身法、秘宗拳の架構、峨眉内功の旋転、諏訪神伝刀術や吾妻流躰術の術理を、優美で柔らかな舞踊の中に溶かし込み、伝統武芸に伝わった『身体の知恵』を、楽しく学べるように工夫しました。

一人で舞い、時に二人で勁力を試し合い、また相手の動きや自然の風に乗って舞うことで、しなやかで強い身体の軸と、そこから生まれる融通性を獲得してゆきます。

両手に扇を持つことで身体の一軸運動が強調されます。これによって得られる、まるでコマのような旋轉は、押さえるものの力を根こそぎ巻き込み、無力化してしまいます。
写真のT氏は中国武術や合気系の武道を幾つか遍歴して、当会に入門されたのですが、まさか扇踊りをさせられるとは思っても見なかったようです(笑)でも、この通り見事やわらかくて強い軸動を体現できるようになってきました。最近ではすっかり武扇にハマっておられるようです


・・・去年は試運転で、門人の中で稽古を重ねてきましたが、中々に好評で、そろそろろ一般の方にもご披露してみようかなあ、という気持ちになって参りました。
武芸・武道家だけでなく、ダンス、ヨガ、気功、ストレッチ、各種スポーツを志す方にも、また健康を志向する色々な年代の方にも得るところがあり、楽しんでご参加いただける内容にしたいと思っています。

まず手始めに、6月は『はじめての武扇』セミナーをやってみようと企画中(*‘∀‘)

ご興味のある方が一定以上おられた場合、月一回くらいの割合でお稽古会を開催するのもいいかもしれません。


2016年4月9日土曜日

御柱祭り~山出し曳行

私にとって今回の御柱山出しは,今までの歴史感覚というものを変えるような、大変センセーショナルな出来事の連続でした。


地表に現れる姿は変わっても、その根っこは、恐らくは縄文の太古より寸毫たりとも変わらず、つらなり来たった人々によって伝えられてここにある、と直感させてくれた森と湖の祭り。


若き日に師事した、ある先達が語った秘事があります。
...
それは「祭りは眞釣り合いに通じ、太初より剖判したる天の刻・地の理・人々の和がふたたび揃うた時、その真空の真中を神柱が貫き、太和之気が兆すことで、初めてモノゴトは成就する」というもの。



そんな昔伝えの創世の妙理を、祭式、規模、そして人々の熱狂をもって、あり余るほどの雄弁さで想起させるこの祭りの輪に自分がいたと言う事。そしてまだその輪は閉じていないのだと言う事。こんな生き通しの命の連続性というものを、感じたことってなかったかもしれません。

自分がどこにいて、何者で、いまはいったいいつなのか・・・

 そもそも自分は何一つ確かなことなど知らないのだと言う事。

そしてそんなことすらどうでもよくなってしまう瞬間というのがあるんですね。そしてそれが祭りなのですね。


ものの本によれば、諏訪の文化が際立ってユニークなのは、この日本の臍に蟠居してきた人々の血統が、本州のその他の場所よりもアイヌや琉球などのまつろわぬ民のそれに近いということ。
健南方の神話を待つまでもなく、まさに諏訪人の息吹きは原始に直結しているのだと思いました。



そして御柱の興奮覚めやらぬ翌日、仲間たちと、もうひとつの諏訪古伝の息吹きを尋ねて、八ヶ岳山腹の森の中にある庵を訪れました。
そこは活きた諏訪の御手振りを伝える童顔白髪の翁が、莞爾として天狗秘伝の大法螺を吹き鳴らして、三千世界の桃の実を醸した仙酒を傾けつつ、闖入者を祭りの庭へと誘ったのでした。
まさにまさに、冥加絶妙の数日間だったのでした。