僕のとこにある(マキビシ)は、針のところに返しがついていて、一度刺さったら、肉ごと抉らなければ抜けないようになっている。
黒く燻されているので、薄暮時以降、外では絶対に見つからないだろう。
これはある鍛冶職人さんが博物館に収めるために試作したものを分けてもらったので、実際使われていた本歌ものでは無いが、昔使われていたものを基に忠実に再現して、悪意、害意がむき出しで形状化されており、禍々しいことこの上ない。
...
一説によると、撒く前には馬糞や人糞など、汚いもので汚してから撒く。破傷風感染を期待しているらしい。
刺さった人を放っておくこともできないだろうから、数名の追っ手の足を止めることができる。一度刺されば、侍ならばしばらく出仕はできまい、というかそれがもとで武士を廃業、切腹をするところまで追い込まれた人も居たかもしれない。
そういったものを、そんな話を聞かせながら、僕は忍者教室に来た子供たちに触らせている。
となりの子が、マキビシを持つ子を転ばせたら・・・
持ってよそ見をして踏んづけたら・・・
投げつけて目に刺さったら・・・
最初はそういう心配で身体が固まったものだった。
こういったものを純真な子供たちに触れさせていいのかな?という想いもあった。
持ってよそ見をして踏んづけたら・・・
投げつけて目に刺さったら・・・
最初はそういう心配で身体が固まったものだった。
こういったものを純真な子供たちに触れさせていいのかな?という想いもあった。
でも、実際に持たせてみると、ふざける子供は一人もいない。だって、ふざければ大けが、悪ければ死んじゃうってすぐわかるものだから。
神妙に先っちょを触って、ぶるっと震えて、そーっと隣の子に渡す。片手で扱う子なんて滅多にいない。ここのところは大人よりもずうっと弁えた動きが出るので感心する。
神妙に先っちょを触って、ぶるっと震えて、そーっと隣の子に渡す。片手で扱う子なんて滅多にいない。ここのところは大人よりもずうっと弁えた動きが出るので感心する。
「・・・みんな、こんな怖いものが、ばらまかれて落ちていたり、暗くなったら狼や山賊がいるような時代、みんなのご先祖さまたちは大変だったんだろうね・・・昔の戦の時代に生まれなくて、本当によかったよね!!」というと、素直にコクリと頷くのだ。
だってそうでしょう?街灯もある。お巡りさんもいる。飢饉で親に売られることもない。人さらいや野盗なんかがうろついているわけでも無い。何よりマキビシが落ちていない夜道の素晴らしいこと!!これ、みんなあたりまえだろ!って思ってませんか??
・・・平和が、水道の水のように当たり前になってしまった、この素晴らしさ・・・ここがわからなければ、皮肉なことだけれど、逆に治安は悪化の一途をたどるだろうし、実際そうなっているよね。
だって、当り前のものなんて、誰も大事にしないのだから。
でも、人間そんなに馬鹿じゃない。とくに小さい子供は。
それは当たり前、という感覚が大人のように手のつけられないような頑迷さを帯びてはいないからというだけ。だから本来(あたりまえ)は無い、ということに気が付かなくてはならない。
でも、人間そんなに馬鹿じゃない。とくに小さい子供は。
それは当たり前、という感覚が大人のように手のつけられないような頑迷さを帯びてはいないからというだけ。だから本来(あたりまえ)は無い、ということに気が付かなくてはならない。
悪意や暴力っていうものが、世界には満ち満ちていて、そういうものからは毅然と自分で身を護る、という(あたりまえのこと)を、大人が感じていないし、教えてもいない。
今の平和を十分に享受して、感謝することなく、人任せだから、子供もそれに習っておかしいことになるんだ。
この世の中には、危ないものが沢山あって、それから身を護る、大切な者たちを護る、財産を守る、そうやって悩みながら営々と歩んできた歴史を鑑みて、今の私たちの環境が、有難く、ちょっとない素晴しい状態なんだ、ということに、「生活者の視点」から気が付くことが出来れば、私たち自身がもっともっとエネルギーをチャージできるのにな、とおもいます。
有難きことに気が付くことが、現実を肯定的にとらえて、人を活き活きとさせてくれる秘訣。
個人が活き活きとしている生活者の集団は、健全な張りが保たれ、自己免疫、自己浄化、自己防衛本能も蘇ると思います。
個人が活き活きとしている生活者の集団は、健全な張りが保たれ、自己免疫、自己浄化、自己防衛本能も蘇ると思います。