祖母が亡くなる寸前までつけていた『太陽日記』というの がある。
祖母は武家の本尊、摩利支天を尊崇していたようで、毎朝 神棚と仏前に長い時間をかけて祈ると、決まって朝日に向 かって日輪の印を組んで、大きな口を開けて両の掌の真ん 中にある太陽の光を吞み下す動作をしていた。
『太陽を呑んじまうんだよ』と言っていたが、それが実際 どこから来た教えなのか、今となっては良くわからない。...
ただ祖母の古いアルバムの中には、伊与久一党で上毛の山 々を金剛杖を持って巡拝している写真がある。摩利支尊天 や不動明王のご真言や、六根清浄など、私も良く教わった ものだが、それらはそういった山での体験に関係あったと 言えるのではないか。
そもそも我が家は真田忍軍とも謂われた吾妻衆の家系。修 験密教との所縁も深く、その出自は山の民であった可能性 も考えられる。
そんな祖母がある日『にいちゃん、今日は太陽の中にこん な字が見えるんだよう。』などと言い、ノートに鉛筆で描 いてみせた。
それは僕から見ると字には到底見えないようなものなのだ が、変体仮名を究めた祖母としては、立派に崩し字だとい うことで、それから毎日朝の太陽を見ては、その中に浮か んでは消える字?残像??を読み取って、ノートにつける ようになった。
僕は『あのね、それは網膜が火傷をしてるんであって、字 な訳ないでしょ?それにそんなことを続けていたら目が潰 れてしまうからやめなよ!!』と、再三注意をした。実は 祖母がボケてしまったんだと思っていた。
しかしそんな孫の心配をよそに、祖母の太陽日記は継続し ていった・・・!
そしてとうとう『にいちゃん、この日はこんな天気になる よ』とか『昼過ぎから誰々が来るよ』などと言いだしたの だ。
ああ、やっぱりボケちゃったんだな・・・と情けない気持 ちになったものだが、不思議なのは、それが時に、という か結構頻繁に正鵠を得ている、つまり現実を予言している ?ようなときが出てきたのだ。
『おばあちゃんはさあ、毎日神様の前で、広く真っ直ぐな 道を歩くような気持ちで拝んでいるんだ。それで太陽を喰 っちゃうと、身体中が真っ白な光で一杯になるんだ。そう するともうおばあちゃんが神様になっちゃうんだよ。だか ら怖いものはなんにもないんだよ。』・・・本当に晩年は そんなことを言ってケロッとしていた。
一度など、しつこい宗教の勧誘員に向かって『あんたたち の神様も立派な神様かもしれないけど、あたしも神様なん だから家にはもう神様はいらないんだよ!!』と言い放つ のを傍で聞いていて笑い死にそうになったこともあった( *´Д`)
ここで書くとちょっとアレなので書かないが、説明できな いような不思議なこともあったり・・・そんなこんなで実 に面白い祖母だったが、遺品の中のどこを探してもも、あ のちいさなノートはみつからない。お棺に入れて燃やされ てしまったのか、それとも今もどこかに仕舞われているの だろうか・・・?
今あれを見たら、いろいろ面白かったのではないか?時々 あの不思議な日々を思い出しては、にんまりとすることが あるのだ。
祖母は武家の本尊、摩利支天を尊崇していたようで、毎朝
『太陽を呑んじまうんだよ』と言っていたが、それが実際
ただ祖母の古いアルバムの中には、伊与久一党で上毛の山
そもそも我が家は真田忍軍とも謂われた吾妻衆の家系。修
そんな祖母がある日『にいちゃん、今日は太陽の中にこん
それは僕から見ると字には到底見えないようなものなのだ
僕は『あのね、それは網膜が火傷をしてるんであって、字
しかしそんな孫の心配をよそに、祖母の太陽日記は継続し
そしてとうとう『にいちゃん、この日はこんな天気になる
ああ、やっぱりボケちゃったんだな・・・と情けない気持
『おばあちゃんはさあ、毎日神様の前で、広く真っ直ぐな
一度など、しつこい宗教の勧誘員に向かって『あんたたち
ここで書くとちょっとアレなので書かないが、説明できな
今あれを見たら、いろいろ面白かったのではないか?時々
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