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2016年10月15日土曜日

飴と鞭、使うのは誰?

鍛錬は我慢・・・みたいな考え方がある。
理屈を超えるまで我慢する・・・
それはそうかも知れない。
でもそういった無理は心身を害する。


人生はフリーダム・・・みたいに考える人も多い。
道理を無視して生きる。
それにも共鳴はできる。
でもそれもいつまでも続けられるものでは無い。


理の無い所に結果は生まれない。
もしそれが功を奏したのなら、
そこには理外の理があったということ。
べつに我慢や自由を謳歌したからというわけではない。


我慢は我が慢心するという意味。
我を張って一人っきりで満足している。
鍛錬とは違うものだ。
空手の村上勝美師匠も言う。
無理のない無理積み重ね・・・と。


自由も我儘の追求ではない。
もしすべてのの欲求が我が儘に成就したとしても
そこに自由はないのだ。
不自由なこの心身を操作することでこそ
本当の自在を得ることができる。


そういう意味では大成した人は
須らく自分に厳しい一方で
自分の甘やかし方を知っている
飴を使うのも鞭を振るうのも
そこには意志が必要で
その中心があるからこそ
飴と鞭を適度に使い分けることができる。


鞭を食らい過ぎれば廃人かマゾヒストになる
飴を食らい過ぎれば心身の成人病まっしぐらだ。
大事なのはやはりそれらを統括する意志なのだ。
固くもなく柔らかすぎもせず
自分という器にぴったりの中心を
飴と鞭のさ中に探るのだ。

2016年8月16日火曜日

済みません と 有難う

先日、長年稽古している生徒さんを嗜める場面がありました。

同じ間違いを繰り返してしまい、「すいません」を連呼して恐縮してしまう彼女。
引っ込んだ眼の光が、再び出てくる為には、彼女自身の、発想の転換が必要だと思いました。
...

伊「あのね、すいません。では済まないような深刻な場面を想定して、訓練していたとして、失敗したなら、誰に向かって済まなく思うべきなのかな??」

徒「・・・・」

伊「それは、そこで死んじゃうかもしれない自分に対してであって、漫画じゃないんだから『師匠・・・済みません・・・未熟でした』なんっつって死ぬわけないでしょ(笑)さすらいの武芸者ならまだしも」

徒「そうですが・・・」

伊「たとえば今日一日(すいません)って何回云いましたか?たぶん30回は言ってると思うよ。そんなに恐縮されたら教えてるこっちも、道場の雰囲気も(こちらこそすいません)になっちゃう。」

徒「では、どういったらいいのですか?」

伊「ぼくは(すいません)の代わりに(有難うございます)が良いと思いますよ。自分の不足を指摘してくれてるんだし、30回(ありがとう)を言っててごらんよ、自然と道場の雰囲気まで良くなってくると思わない?」

そこで彼女の顔が明るくなるのが解りました。


戦後の学校教育では平均到達地点を、誰でもできるところに引き下げてゆく(平等化)が奨められてきたように思えます。
だからそのラインを越えられない時は(くやしい)というよりも〈面目ない)となってしまいがちなのではないでしょうか。
先生もその機で教えますから(こんなことも解らんのか~!)と、どうしてもなってしまう。


武術は命を守る、という前提で行っています。

はじめの一歩から、基準の設定が違い、求められる認識や受け取り方が違います。
知っていたから命が守れた、という技術を学んでいるわけですから(ありがとう)が相応しいと、私は思います。

先生がぶれていないのだったならば、生徒さんはそれなりに変わってくるだろうし、変わらなければ、残念ながらその場の強度にマッチしなかった、ということになる。

でも、そんなだけでは冷たい関係になっちゃうのも嫌なので、生徒さんの認識を口八丁手八丁、崩していきたく思っています。

ただ、(ありがとう)を言うくらいなら(すいません)といった方が楽、という人も、増えてきている気はします。哀しいことではありますね。)

2016年6月30日木曜日

我を知り初めて他を知る蛙の子 それも又善しYES WE CAN!だね☆


もう20年ほど前、東京の小金井公園の畔に暮らしていた時のこと。

霜が降りる11月の武蔵野の雑木林の中で、小柄なお爺さんが見たこともないような太極拳を錬拳されていた。

その動きが上品で、見事で、何とも言えない神韻縹渺とした風格があ
ったので、ひと段落ついた所を見て、思わず声をかけてしまった。

ひょっとしたら日本語が通じない可能性もあったので、まずはは中国語で話しかけてみると
「大丈夫、私は日本人だよ。」と一言。

不思議で素晴らしい太極拳を、僭越ながらも褒め称えると、
「自分の到っているところ、至らぬところは自分が解っております。貴方のお言葉は大変ありがたいが・・・」と、簡潔に答えられた。

それまで出会った人は、自分も含めておおむね、ほめればうれしい顔をする。ケチをつければ当然不機嫌になる。

しかしそのご老人は、ぼくの評価などそよ風の様に受け流し、それでいて全く嫌みのない爽やかで暖かな眼差しで、僕をじっと見つめた。
「あなたは本格的なものを中々良く稽古をされてきたようですから、こんどは禅もおやりなさい。私が良い老師を紹介できますよ」と、また一言。
それからベンチで暖かいコーヒーを飲みながら、小一時間も話し込んでしまった。

そのご老人ーI老師は戦前、上海の東亜同文書院大学校に学び、日中のかけ橋を自任して活躍した方だった。中国にいるときは太極拳の素晴らしさに惹かれ、手ほどきを受けたらしい。
敗戦後、大変な思いを経て帰国、それでも中国への想いは消えず楊名時老師の唱導する太極拳の門に学び、また道元禅師の正法眼蔵随紋録に出会い、曹洞の禅を学ぶ。

どおりでそれまで見てきた太極拳とは一味違った風格な訳だ。楊名時老師の太極拳の表現の中に、I老師一代の大覚悟が溢れている・・・僕はその空気感に神々しささえ感じた。
それまで僕は、流派や伝承系統の純粋さ、実践的に使えるのか否か、だけを自分なりの評価の軸に据えていた。

老師との一期一会がなかったら、ひょっとしたらいまだに僕は正統非正統、有効非有効の二律の世界で消耗していたかもしれない。

しかし、こういった素晴らしい調和の風格を醸す在り方もあるのだ。理屈でなく、そう感じさせてくれた出会いだった。

思えばあのころはいろいろあった。自分の価値観もグラグラしていた。信じていたものを、頑なに守り通すことに限界を覚えていた時期でもあった。そんな時に老師の動きは素晴らしく美しいものに思えたのだった。

老師とのお付き合いは、これを皮切りに、おもに禅関係(多くは書簡や書籍の贈与など)をつうじてのものだったが、先生がお亡くなりになる前まで継続した。その中で学び得たものはこの年齢になって、より染みてくる内容が多い。

議論は異論を生むもの。異論はとうぜんは諍いの元となる。

異論でなく「それも又良しイエスかな」の心で(笑)
大らかにしていたって、全然かまわない。
残るべきものは残り、影響を与えるべき時には、文化的遺伝子はしっかりと残すものなのだ。形も大事だが、されど・・・高が・・・、と言うことを忘れないようにしたい。

オーソドックスにしがみついて、本質を失ってしまうということもありうるだろう。僕はむしろそれが怖いし、まったく性に合わないのだ。むろん横道に逸れ過ぎるということは重々注意・・・
そんな感じで自分のなかでもいっぱいいっぱいなんだから、人様のことなぞどうこう出来るとは、とてもじゃないけど思えないのだが・・・


そうやってゆったりとした構えで、脚下照顧しつつ歩んで行きたいものである。



2016年6月24日金曜日

屈託なき笑顔に朝日映ゆるかな

尊敬する武術の大先輩から、大変嬉しいお言葉を賜りました。

普段褒められるということが皆無の生活をしておりますもので、天にもノボル・・・とはちょっとオーバーですが(笑)相当に励みになりました( ^)o(^ )vので、皆さんのお褒めの言葉、お待ちしております(@_@)


・・・というのは冗談ですが(笑)、私如きものは本当に武術に助けられ、扶けられ、援けられて今まで来たのだなあ、と感じております。武術を司る神様がいるのなら、心より感謝申し上げたい。...
ひとえにこれは技、それを運び来た道、ヒトこそが尊いので、珍獣なんぞはその掌中に遊ぶエテ公同全、偉大なる師匠たちの前では穴が有ったら隠れてしまいたい軽輩なのでございます。



そもそも私は7か月の未熟児で生まれました。
お産も大変だったそうで、母はそれで二人目を断念したそうです。紫のチアノーゼ状態で半死半生で保育器にひと月以上もいたのだそうです。その時に刻まれた心身の後遺症的なものは、今に至るまで影響を及ぼしております。

武術の家に生まれたのにもかかわらず、毎日天井を見ている自分を大人たちはどう思っているのだろうか、と毎日思い悩み、また特殊な家庭環境などもあって、幼少期は過度のストレスと虚弱の為、強度のチック症になってしまいました。

だから屈託なく育てたよその子がうらやましくて仕方がありませんでした。だからこそ心身の向上には人一倍興味があったのだと思います。

武術、荒事が多かった環境でしたが、私を救ったのも武術の稽古で得られる体力の向上や同学との友情、そしてこの世には達人がいる!という希望でした。

わたしはいじめられていた時もあったし、ぐったりしていた時もあったし、なんにもやらずにぶらぶらしていたこともありました。グレて危ない道に入っていったこともありました。無茶もいろいろやりました。でも、結局は武術・躰術が大きな指標になっていたので戻ってきてしまうのです。

大きく迂回しても、結局突き蹴りして、棒を振っている自分がいるのです。まあ、これからも多分その感覚は変わらないのだと思います。これが一番しっくりくる、自分らしいひと時になってしまっているのです。

なぜか武術・躰術に尽きない興味と面白さを感じる・・・これが武縁というものなのでしょうか・・・武術を長く続けておられる先輩方は、その点肯首されること多いのではないでしょうか。


身体が弱いとか心が平穏でない人が稽古会に何年も通ってくれていることと、私の幼少の経験と言うのは関係があるのだと思っております。それは自分は優等生だったり、特待生だったりしたことは一度もないという自覚があるからなのではないかと思っています。

嬉しいお言葉を賜って却って申し訳ないのですが、純然たるお褒めの言葉と言うのは、これはまったく私にとっては過分も過分・・・マイナスからの出発で、今でもとろとろやっている、と言うだけなのです。最近になってやっとすこしだけ・・・健康というものを享受することができてきた、これまでのことも無駄ではなかったのかなあ、と感謝を表すことが出来るようになってきました。
おじさんになって、やっと屈託なく、からりと笑えるようになってきたということでしょうか。

ただ一点・・・この道の味わいについては、深く繊細に、そのうま味を楽しむこと人後に落ちない所存です。だからこそ、ひと様にもお勧めもし、是非ご一緒に!と楽しんで行けるわけです。

そのような意味でも、親や師匠には感謝してもし切れないのでございます。長文失礼申しあげました_(._.)_

2016年6月15日水曜日

森渡る風もとぶらう落花哉

備忘録
今日も順心老人との稽古。

(注:順心斎老先生は、僕の柔術剣術のお師匠で、甲陽地方に残された諏訪古伝の体術を今に伝えるおそらく唯一の伝承者です。御年80ですが実戦で磨かれた技は衰えることを知らず、私は毎回めためたに扱かれて2年が経ちました。最近お友達になった方が多いので一応説明してみました。)

...
まず驚くのはその足腰の強さ。80歳の年齢を全く感じさせない粘り。よく四つ相撲をするのだが、一回たりとも押し込めたことがない。異常な強さだ。まるで牛と相撲をしているように感じる。
以前、といっても去年?ロシア人の2メートル、120キロある巨漢と押し相撲をして、相手は一歩も押させなかったというのだから凄い。大汗をかいて仕舞には地べたに座りこんだようだ。
押し込めない代わりに自分も押せなかったらしいが、柔の技を使うといとも簡単に地べたに突っ込まされてしまったというのを、目撃した数名の人から聞いている・・・世の中には化け物がいるもんだ。


ここ最近になって、順心斎斎先生の教えが全くぶれていないことに気が付いた。出会ってから、私は紆余曲折、迷いながら稽古をしてきたが、今日やっと師の教えの通りに動くことができたようだ。
すると、師の万力のような力で抑えられていたとしても、殆ど何の抵抗もなくスルリと投げ捨てることができた。

これは予想だにしない全く画期的な経験だった。なるほど、未だ言葉では何とも言えないが、手掛かりには十分な感覚。これが全身に及べば、大きな相手でも関係ないのかもしれない。
受け身をとりながら師は破顔一笑「2年教えてやっと私の言っていることを真に受けてくれましたね!」との言。まったく面目なく、申し訳なく、忝かった。


思うに最近上海の師父に直された経験がもろに効いていたようだ。


腰を中心に動く場合の、頭部のリードの配合の問題なのだが、少しの差が身体にラグを作って、一調子を阻害していたようだった。 むしろ手足などはほとんど動いていないくらいがいい。
まさに躰術が躰術たるゆえんだと再認識した。


諏訪の柔は肘当て、足当て、足払いを多用する。
その一つ一つが鋭く、早く、重い。師のそれを見るだに、もろに食らうとヤバイと思う。打つほどに高く、早く引く稽古をする。
80歳にも拘らず(…ってのが多いのだが:笑)ロー、ミドルを一気に蹴り分ける師。まったく経験したことのない蹴りのポジションは興味深い。しかしこれも去年見ていた姿とは違って見える。


つまり、何にも見えていなかったのだ。
いまでは腰から上がる力がありありと見える。


刀術に関しても、今日は目が開かれることが多かった。
何故組太刀を稽古するのか、その意味、どんな意識で行うのか。
武術は畢竟人を殺し、自分を守るものなので、その稽古は自然生き死にの稽古となる。その気で追及しなければ大成しないが、生涯使わないことを旨とする。実に無用の用の徳を養う。
一般の人からすると、考えられないような無駄であり、人様に決して勧めることのできるものでは無い、ということ。
その意識の上で行う組太刀。
髪の毛まで切り降ろされ、頭蓋に風を感じてピタリと止まる木刀。
必死の気構えで出ていかなくては、足を払う相手に乗って、上段を打つことが出来ない。それをさらに月の捌きに嵌め落として勝ちを得る・・・
うそっこで本当を生み出すのが組み太刀なんだよ、とにこやかに言うだが、そこに打ち込める隙は見当たらない。
残心の平中段、そこからの変化、左手の位置、前捌き・・・
山のごとく、海のごとく険しくて深い課題に今回も呆然としたのだった。


・・・じつは今日は師匠が可愛がっていた庵の近所に住む女の児の葬儀の日だった。僕も良くお話をしたことのあるその少女は、つい一昨日まで師の畑の傍で、飽きずに作業を見て「おじさんはよく働くんだねえ」と笑っていたのだという。

父親が朝突然訪ねてきて「夜に突然亡くなった」旨を知らせてきた。師は死に顔を見ると、それが心に残る、お別れは私の胸の中で行いますから・・・と言って参列は固辞されたそうだ。そのあと涙にくれる父親の肩を抱いて、しばらく一緒にいてあげたのだそうだ。
・・・あまりにも早すぎる、突然の命の幕切れに、命とは、生死とは、それを超えて流れるものや、人の思いと言ったことごとに思いを馳せずにいられなかった今日の稽古。
弔いの警笛が森を伝う風に乗って聞こえてきた。

先生と僕は森の中の道まで出て、風上に向かって、めいめい最後の挨拶をしたのだった。

2016年5月11日水曜日

峨眉洪門宗師・楊兆源老師

阿形博志先生がfbにてシェアされた峨眉洪門拳法の楊兆源老師の記事!!

私が良師を求めて大陸をさまよっていた時期にお会いした最大の衝撃!がこの楊老師との邂逅でした。
この時は四川省武術拳械録に出ていた峨眉五花八葉の老師たちがご存命のうちに出来るだけお会いしてその蘊奥を見聞したい!と眺めに時間をとって、楽山市体育委員会の曾老師や外事班の王先生に同行していただいてなんと23名の伝統を伝える拳師にインタビュー&突撃取材をしたわけです。


...
この楊老師は、その折に伺った中で最高齢のお一人、御年なんと101歳!
民国末期で最も過激だったという、今でいうフルコンタクト試合「成都青羊宮雷台」にて、あまりにも強すぎてすべての相手を只の一突きで場外に転落、もしくは昏倒させ、4年目からは出場不可になったという伝説の武芸者。
しかし、文革以降は不遇で、私が訪ねた時の驚かれよう、喜びようは一方で無いものだったのを記憶しています。
思えば二打不要と言われた武術家は数あれど、最近までご存命だった最後のお一人だったのではないでしょうか。
お会いしまして初日に、外孫と当時武警教官だった外孫婿のかたと交流をさせていただきました。金網まで吹っ飛ばされる私を見る老師の御顔はとても楽しそうでした。
また、老師自ら私の手を取り技をかけてくださったときの軽やかさ、霊功なこと・・・写真を撮ったら手が残像だけになっていて、恐ろしい人が世の中に入るものだなあと思いました。
残念ながらあの後間もなくなくなられましたが、なんでも私が最後の外地からの来訪者だったとか。当時のフィルムはいまでも楽山電視台に残っているのでしょうか??

峨眉内功、この後も四川には数度訪ねて学んでおり、こちらで学んだ日月照手と言う技は、今の私の得意な手となっております。阿形先生、貴重な記事有難うございます!!

☆こちらのホームページの本文を 良く読んだら、僕のこと書いてありますね!!
・・・・・・1996年,日本武林盟友会代表伊与久大吾专程到夹江县拜访百岁拳师杨兆源,对老先生精湛的武功赞叹不已。 http://www.weixinyidu.com/n_2228812

繰り言


その門派が基本としている稽古法を見れば、大体の場合そこで何を大切にしているのかがわかります。
昔は武術に生き死にがかかる時代でしたので、ぜーーーーったいに、それらを見せたり、やすやすと教えることなどあり得なかったそうです。...
中には基本の基本と、その遥かに向こうの連続技は、公開してゆく方針の先生もいたかもしれません。


でも肝心かなめは、信頼できる少数の人にしか示さなかったし、示しても害のない人だったとしても、その人が曲解をして伝えてしまう恐れがある場合は、やはり数手省いたりして教えたものです。

教える側は、教えるだけの内容があるのだし、学ぶ側は、学びたくて来ているわけですから、教える側と学ぶ側が平等‼・・・な訳はあるはずもなく、教える側はいつだってフェイクを伝える権利があったのです。
学ぶものも、それで文句を言う筋ではないということが解っていました。だから「あなたは才能がないので武術はやめた方がいいです。」と弟子にいえる強さがあったわけです。(僕なんか過去3回ほど言われたことがありますよ:泣)

そういう意味で、今の人は甘い。と、いうか教わって当然☆お金払ってるんだから(*‘∀‘)…とか思ってる。これは無いですね"(-""-)"
まあ、学ぶ側もイノチガケのものを学ぶ、なんていう観念からしてないわけですから、こっち側が合わせてあげる必要もあるのかもしれませんね。



また平和・・・と言うだけでなく、情報技術の発展という面からも良い時代になったということもできるでしょう。動画などでふんだんに古伝の、しかも質の高い稽古法が、それも無料で!拝見できるようになるなんて…!こんな伝統のスーパーインフレーションな時代が来るとは、師匠方は絶対思いもよらなかったでしょうね。

でも、当然なんですが人は自分の体験、内実に照らし合わせてでしか判断はできないようになっているみたいなんですね。
だから僕がすごい!と思って見ているものでも、練達の士からすれば「こんな凡庸なもの」と映るでしょうし、実際20年前に小ばかにしていた動画(スンマセン)が、今見ると思ったよりすごくて自分の見識不足を痛感するなんてことも良くあります。

だから覚悟して記録を残そうとされる先人の方たちには頭が下がります。もう、拳や刀で切った張ったという時代ではないということを、伝承者自体が痛感していて、むしろ人類の無形の文化遺産としてアーカイブに保存して行くような遠大な志を感じるわけです。

そうすれば相応のものを相応の人が見て、相応の成果を引き出すことが出来る・・・これは技術を提供する側からすれば、人類愛に通じる、素晴らしいことだと思います。


では、受ける側はどうか・・・?
相応のものが学べば、鐘が打てば響く例えのごとく、一気に頓悟にに至ってしまうかもしれません。
しかし、なまくらな感性でものを見た場合、それなりの相応が引き出されてしまうでしょう。
誤解が曲解を生み、本来のものと大きく異なるものが保存される危険性があります。そんなことを言っている私自体、先人のものを完全に保っているのか、そのスピリットを継承しているのか、と言うことは甚だ疑問です。だからこそ稽古をせざるを得ない。こうなると行の世界です。

また良くも悪くもこの膨大なタイトルの海・・・これを泳ぎ渡れる人は、相当な見識を自分の中に打ち立てた人と言えるでしょう。溺れる人が藁の良しあしを考慮する余裕があるわけがありません。
ほとんどの人は好みでそれらを判断するでしょう。好みでものの良しあしを図れるとしたならば、戦争はなくなり法律は要らなくなるでしょう。「好みで無いけれど学ぶところがある」というような「不味いもの」でも食べるべき時は食べる!みたいな感覚でなくては、所詮旦那芸に終わってしまうかもしれません。

・・・やっぱり大事なのは、基本を深く稽古してゆく、そしてその中の哲理や要求を自分のものとして内在化させてゆく、本当の意味での伝承作業をおこなってゆくしかないのだと思っています。
ふりだしに戻る、というわけですね(∩´∀`)∩

2016年4月12日火曜日

古池の布袋葵の花のごと浮いて根を張る浮御堂哉

子供のころ、祖母が「兄ちゃん、浮御堂っていうお堂があるんだよ」と言って、やおら立ち上がると「ほら、こんな風に、風が吹いたらスーーーっと、湖の上をお堂が滑って行くんだよ」
普段でも身が軽い祖母の身体が、まるで紙で出来た人形が風に吹かれるように一層軽く、畳の上を平行に移動して行きました。



「兄ちゃん、お侍はね、風に乗るみたいにしていたから沢山の敵に囲まれても怖くなかったんだよ。山の中でも谷でも砂の上でも風は吹いているからね。どんな重いお堂だって、水に浮いてれば風でスーッと行っちゃうんだからねぇ・・・」...
そう言って祖母は薙刀や刀を、まるで玩具のように取り扱って見せてくれたものでした。


・・そんな風景が、この風の強い八ヶ岳に住むようになってよく想起されます。
浮御堂という言葉の印象自体は、よほど強かったのですが、それが具体的な武術の身体運用の秘訣だったということが理解できたのは、祖母が亡くなってずーっと経ってからのことでした。
○弁天号から竹生島を望む

八卦掌や太極拳を錬り、奇正相生が体現されてくると、歩みの中に陰陽を相齊させる陰中之陽と陽中之陰の作用が出てきます。
身体を斜めに、まるで梁の様に補いリードするこの感覚が生まれることで、自分の身体使いは(あくまでも当社比ですが:笑)滑らかになり、今のバランスの状態を自覚することがより精密になってきました。


中国の師父に「浮力」の養成だということで頭の上に盃を載せられ、幾つかの型を学んだときのこと。
祖母もまた、頭にものを載せたり、手のひらの上でものを直立させたりすることが巧みだったことが思い出されてきました。
私自身は軽業師・大道芸のようなことは、正直嫌悪感がありましたので、あまり真面目に受け止めなかったものでしたが・・・思えばこれが浮御堂のための訓練だったのだ、と理解が追い付き、点と点が繋がったのは、恥ずかしながらつい最近のことです(◞‸◟)


そんなこんなで、この前琵琶湖に行ったとき、浮御堂の実物を見てやろうじゃないか!と思い調べたところ・・・
なんと!堅田の浮御堂は湖の上に「あたかも」浮いているかのように建てられた、立派な「不動産物件」だったのでした!!
風が吹いたところでしっかりと基礎が地面に作ってあるので、ソヨとも動かない本物の浮御堂を知って「なんだよ婆さん!全然浮いとらんやないかーーーい!!」と突っ込んだのは当門の秘密・・・★です(笑)

鰯の頭も信心と言いますが、イメージを想起させる良いコトバが、人の身体すら変化させることもある、というお話です。

☆後ほど調べたら、琵琶湖だけでなく全国各地に浮御堂は作られているらしいです、ひょっとしたら実際浮いているような作りのものも、過去あったのかもしれません。念のため。

2016年4月11日月曜日

春、『武扇』をはじめてみませんか?

八千代稽古会の会場になっている公園は桜の名所。

花曇りの蕩風そよぐ中、桜色の野辺にて舞う武扇の心地ちの良さよ!



...
舞う姿は優美なれど、その姿形には勁を秘め、気韻生動するさまは龍が遊び鳳が羽搏くが如し・・・身体の融通性を導き出す素晴らしいボディ・アーツだと思っています。
詳しくはまたお知らせいたします。ご興味ある方は、ご一緒に舞ってみませんか(∩´∀`)∩



『武扇』は、扇舞の表現を借りて、内功武術や柔術、剣術の理合いを探ってゆける新しいボディ・アーツとして私、伊与久松凬が創始しました。

姜氏門八卦掌の歩法と身法、秘宗拳の架構、峨眉内功の旋転、諏訪神伝刀術や吾妻流躰術の術理を、優美で柔らかな舞踊の中に溶かし込み、伝統武芸に伝わった『身体の知恵』を、楽しく学べるように工夫しました。

一人で舞い、時に二人で勁力を試し合い、また相手の動きや自然の風に乗って舞うことで、しなやかで強い身体の軸と、そこから生まれる融通性を獲得してゆきます。

両手に扇を持つことで身体の一軸運動が強調されます。これによって得られる、まるでコマのような旋轉は、押さえるものの力を根こそぎ巻き込み、無力化してしまいます。
写真のT氏は中国武術や合気系の武道を幾つか遍歴して、当会に入門されたのですが、まさか扇踊りをさせられるとは思っても見なかったようです(笑)でも、この通り見事やわらかくて強い軸動を体現できるようになってきました。最近ではすっかり武扇にハマっておられるようです


・・・去年は試運転で、門人の中で稽古を重ねてきましたが、中々に好評で、そろそろろ一般の方にもご披露してみようかなあ、という気持ちになって参りました。
武芸・武道家だけでなく、ダンス、ヨガ、気功、ストレッチ、各種スポーツを志す方にも、また健康を志向する色々な年代の方にも得るところがあり、楽しんでご参加いただける内容にしたいと思っています。

まず手始めに、6月は『はじめての武扇』セミナーをやってみようと企画中(*‘∀‘)

ご興味のある方が一定以上おられた場合、月一回くらいの割合でお稽古会を開催するのもいいかもしれません。


2016年3月30日水曜日

送り業

先日の稽古備忘録

柔に始まり柔に終わる一日。
今日は奥伝の伝授と前後しますが、今までやってきた技の目録を示されました。
...
あの技はああいう名前で、この手の裏だったのか・・・とか、
成る程あの技の返しとして、この動きがあったのか・・・といった気づきが得られました。

昔から武術は、手は教えてもその技の名を秘することがあると聞いていましたが、2年弱学んできて初めて目録を渡されると、技と技との間の思想みたいなものの存在が俯瞰的に伺われ、やっと得心できたことも多く、旧式の教え方の道理の深さを感じています。

送り業、腕渡という概念があるのですが、この技などは諏訪の柔では相当中心的な考え方なのですが寡聞にしてほかの流儀では見たことがありませんでした。師匠から何度も聞いて、掛けられ、痛い思いをし続けてきたのですが、情けないことに目録で示されるまで、その技が他の技と違うということが全く分かっていませんでした。

やはり正しい師に付き、その技の骨子を学んで行かなくてはは、正しい技は身に付くはずもないということ、強烈な痛みの中で再確認した今日でした。


ちなみに修行のあとの酒行の会、本日は「竹生島」お菜は、菜花の酢味噌和え、昆布の煮つけ、海苔と春雨の和え物、雪鍋でした。珍しく和の食卓で師匠の箸も進んでおられました。

2016年3月23日水曜日

舞扇!

昨日は嬉しいことが沢~山ありました(^-^)

日本における体術界の知る人ぞ知る名人、小用茂夫先生の刀禅会の主催する、舞扇講習会にやっと…伺うことができました!

刀禅というのは、小用先生が、姜氏門形意拳、大東流合気柔術、陳氏太極拳、柳生新影流などの伝統武術を学び導かれた、人間がより充全に活動するための日本発のボディーワークです。
舞扇というのは、その刀禅の効果をより高めてゆくための錬功ツールとして先生が工夫された、日本舞踊などに使用される扇の扱い方の体系なのだと言います。

...
昨日体験させていただいた内容は、至ってシンプルな開閉動作が中心でしたが、これを全身の連なりを整えて行うのは、非常に体術にキクのがわかります。無論簡単なことではありません。
先ず取っ掛かりの片手で扇を開く、からして最初はナカナカ…私なんかは「やべぇ・・・ひょっとしてこのまま開かないで終了?」とか不安になったほど。
しかし素晴らしき練達の刀禅会の皆様にお導きいただき、紛いなりにも両手で開閉するところまで行けました(*^_^*)ヨカッタ!



また休憩時間、先生からご紹介いただき、拙き演武をさせていただきました。
私も中華の武扇を玩んでおりますので、せっかくの扇繋がりと言うことで、これからの弥益々の御指導、御交誼賜れるよう願いを込めて、内功武扇を舞った訳ですが、お目汚しの演舞であったにも拘らず、忝なくも小用先生から嬉しいお言葉も頂き、素直に大喜びをしておりますo(^-^)o

あっという間に有意義な本稽古の時間はすぎて、次は噂の?肝稽古です。(  ̄ー ̄)/C□☆□D\( ̄ー ̄ )カンパーイ!
和やかな雰囲気の中、美味しいお酒と皆様の愉しいお話をうかがうにつれ、ああ、こちらは本当に良い会だなあ、としみじみ思いました。若い方も、年上の方も、刀禅の示すひとつの状態を求めての無心な交流なのですね。これこそ本当の和だなあと思いました。
先生からは今後の稽古の指針となるような貴重なお話をうかがうことも出来、最後に稽古三段活用?の最終ケイコ様からも愛情たっぷりの胴締めを頂き、イヨQ失神しちゃうほど嬉しゅう御座いました(^O^)

また、空手少年だった頃の憧れの拳士、高久先生ともご挨拶させていただきました!思わずミーハーになってしまった私がいたのはだれにも内緒でございます(*^_^*)b

さてもさても、素晴らしきかな刀禅小用一門。日本発の体術を標榜する者として、先生の後塵を拝しつつ、続いてゆくことできればなあ!と思いましたる次第。

沢山の収穫と想いを抱え、今朝のあずさで長野に帰って参りました。車中片手には舞扇が踊っていたのは言うまでもありません!



そうして本日は、小用先生の下からから市川に戻り一泊、そして長野に朝帰り・・・さらに午後には順心斎老師家にて迎え酒・・・いや、諏訪神伝体術のお稽古でござった。

「肝稽古』から日付が変わって「武道酒の会」・・・武道家ってなんでこうにもこうなんでしょうね(;´∀`)むかし居酒屋養老乃瀧で飲むのを「瀧行」と称した元キックボクサー氏も居ましたが(笑)

真田信伊公との縁深き諏訪神伝の柔術。...いま油も載ってきた43歳の私の、優に五枚は上手の80歳の老人…
今日も肩を外しそうになったり、腕が引きちぎられるような思いで、何とかしのいで参りました。


拝み取りは、相手の親指が下の時にだけ使うこと。
ビニールゴム(?)みたいな手の内で、相手をブロックする。そうしつつも八法梃の定点は常に動き続ける。
丹田からの「踏んで伸びる」力でちょっと浮かせる。そうすれば腕が何本あっても一本と同じようにくづすことができる。
一本の腕は3方向の力を融合させれば相当融通の利く形で崩すことができる。

・・・今戻りました。なんていうか、満身創痍(;´Д`)
俺、強くなりたいっす!(酒も)

2016年3月11日金曜日

吾妻流、子供躰術教室




子供は面白いものです。合理的な動きを選択するのに、何の躊躇もありません。半身といっても絵に描いたような半身でなく、自然に身体の軸を活用しています。       

転んだ相手に攻撃することは、一般の武道ではやりませんが、心構えとして必ず間を切って残心する癖を付けるために私は大事だと思い、大人相手の場合は素早く効果的な攻撃をするように教えています。子供同士ではそう言ったリアクションだけにさせています。子供って言っても相当心得ているものです。


子供たちが、身体をいっぱいに使って、楽しみながら成長してゆく様を見ていると、梁塵秘抄の一節

遊びをせんとや生れけむ

戯れせんとや生れけん

遊ぶ子供の声きけば

我が身さえこそ動がるれ



・・・が思い浮かんできます。良いものです。

長拳のイミ

内家拳というとステレオ的に沈みを強調される傾向があると思います。

僕は所謂内家拳と内功武術は、括り方が違うと思っていますので、ことさら脱力や沈むことのみを重く見るというよりは、むしろ伸びあがり、浮き上がる瞬間に獲得できる軸の在り方も、同じくらいに大切な要求だと思い稽古をしています。...

これは入門2年目に突入のH兄と、武扇を持ち、あたかも舞踊や京劇のようにも見える(燕子帰巣)という所作を撮った一枚ですが、そこには当門の躰術的な思想が込められており、他所の道場に於いて内家を10年以上学んだというH兄の軸の所在と、私のそれとではコンセプトが異なるということがよくわかる一枚になったので掲載してみました。

別に彼が下手だというのではなく、むしろ四苦八苦しながら身体のコンセプトを変えていこうと努力する彼にエールを送るものなのですが、当門の志向する要求や思想は、長拳のそれにも近似して内家を冠する門派としては独特なものがあるということを図らずも示してくれる格好の一枚になってしまいました。

必要な場合は背中を丸めるだけではなく、反り伸ばし、時にきつく締め、柔かく連動する軸は常に片足のどちらかに下がってゆくように伸展させます。目線も身体の順逆の捻転の先端にあり、それを領導する意識をもって整えてゆきます。

ある長拳を長年やってきた方が稽古をされて数年、「長拳がなぜあのような身体使いをするのかがやっとわかった」と印象深いことを仰っていました。
たしかに。近代になって長拳も、武術としてというよりは表演の演目として捉えられることが多くなってくるに従い、その中にあったはずの姿勢要求や内功が薄まり、本来の姿を想像できなくなっているような気がしてなりません。
姜氏門は内功長拳(秘宗拳)を大事にしてきた経緯があり、形意拳や八卦掌であっても、その基本を外して演練することはありえません。

私は思うのですが、昔日の面影を善く残している流派では、所謂内家、外家という差異を今ほど強調することは無く、おおむね私のやっていることにも肯定的に捉えてくださる場合が多いのではないか、と考えています。
以前、四川省の片田舎の、誰も知らないような民間拳師の中に、私たちと同じ思想を持った方が居て、お互いに当代武術事情に肩身の狭い思いをしていた矢先だったので、「やっぱりそうだよな!お前良いこと言った!吞め~!!」みたいな感じで意気投合した経験があります(笑)
その人は風采の上がらないどこにでもいそうなおっさん(笑)だし、やっている武術も長拳だか太極拳だか、空手だかなんだか・・・といったような地方拳術なのですが、キッと目をくれると空気が変わり、七十何歳でも跳躍翻旋思いのまま、そして柔かく懐の深い手ごわい技を持っていました。
こういうことって実はけっこうあるのですね。真実を見る目を曇らせないようにしていかなくてはと考えさせられた一コマでした。

文章やメディアを通して観念化すると、太極拳は太極拳、長拳は長拳、空手は空手、忍者は忍者・・・(笑)と、それらしいモノが出来上ってきてしまいます。それが大衆にとって受け入れやすいものであった場合は「イワユル」が横行し、本来の何気ない、表現のしようのないものは駆逐される傾向にあります。でも、それって文化的には衰退ともいえなくね?いえなくなくなくね??・・・まあ、多くは語りませんが(´・ω・`)

ですから、今僕が行っているような言語化、再概念化という試みも、大きな危険をはらんでいると言えなくもない。いえなくなくな・・・まあ、だからこそ、極力宣伝なしで、縁を頼りに尋ねてきてくれた方たちだけに、私の信じているものをお土産に持っていっていただこうと思っております。・・・こんな珍獣でも、意外と頑固なところもあるでしょ?意外だった~??( *´艸`)

2016年3月3日木曜日

紅葉のごとく

真田忍軍とも言われる吾妻衆の末裔で、その教えのかすかな残照を伝えていたと思われる僕の祖母が、得意技として、子供のころから投げていた手裏剣術があります。

その要訣の中に(僕が知る限りでは)他ではあまり見かけないものが幾つかあるのですが、その中に(紅葉の捻り)と言って打剣する際に手の内をきつく捻るというのがあります。
でも・・・これを守って打つと、これが全然当たらない。刺さらない。
...
十字と違って、真田の古忍が投げていたのは飽くまで棒手裏剣ですから、少しでも捻りが加わるともう先端にスピンが掛かってしまい、結果手裏剣は腹を打って無残にもボトリと落ちてしまうのです。

逆に、祖母の言った通りにしないで、平に持って直ぐ打ちしたほうが遥かに真っ直ぐ、気持よく刺さるのです・・・ですから最近は諦めもあって「あれは多分手裏剣の繰りの際の動作が様式として残っただけで、打法自体とは関係がない、もしくはむしろマイナス要因なのかもしれない・・・」と思って、他流のような手の内で投げたりしてお茶を濁していたのでした。

・・・が、今日の稽古で、それはやっぱり、自分の未熟さを棚に上げた、浅はかな考えだったということに気が付きました(;´Д`)

圓月の表と呼ばれる投法を訓練していた時、何か纏まった感じがあったので、ふと後ろを見てフォームを確認すると、いっぱいいっぱいに伸ばした腕が、肘の先から逆に捻られ、指先まで反りかえるほどにストレッチが掛かった状態で手裏剣を手挟んでいることに気が付きました。


順逆にキュウキュウに捻られた腕は、まったく遊びがない状態で、腕だけがわがままを言って何かするような弛みはちょっともございません。それ故に身を使って、ブレのない軸移動を心掛け乍らフォームを大切にして投げてみました・・・すると、急に今までにないような深さ、強さ、正確さで手裏剣が刺さりはじめたのです。これは嬉しかった!

すぐに鉄、ステン、串、箸などいろいろ投げて試しましたが、一本の箸などはベニヤの壁に突き刺さってしまいました。

そしてうまく刺さった時の手の内の形は、もう本当に祖母の舞踊のような手の形と瓜二つになっているのです(^O^)/

「ああ、これだったんだ!」という感動も、もう少しで伝統を誤るところだったという自己嫌悪にナカナカ打ち勝てず、一時間以上頭を真っ白にして投げ続けましたが、全然肩が痛くならないのがまた面白い。筋肉を順逆に締めて使うので、局部的な力が加わらなかったのだと思いました。

さらにそれが違うフォームでも使えるのかと思い、早速実験。ギリギリまで絞った腕を更に折りたたむことで、ポテンシャルを保持させたままフォームを小さくし、弧月の形で打ってみたところ、これも同様のクリーンヒット!今日は自分手裏剣史上最高の結果となりました。

そして案の定というか、意外というか、ふたを開けたら、お婆ちゃんがやっていた(紅葉の捻り)そのまんまの何気ない形に落ち着きました。ヤッパリ・・・(;・∀・)

・・・何というか、まだまだ伝統的な教えの本意って、読み解く人を待っている(ビジー)状態でいるのかもしれませんね。そのまま失われたり誤解されてしまった教えも沢山あったことでしょうね・・・猛烈に反省&また一つ祖母に教えられた気がした今日の稽古でした。

(でも相変らず手裏剣の腕はへぼです。あくまでも当社比なのでそこんとこ( `・∀・´)ノヨロシク)

2016年2月24日水曜日

お日柄も良く、太和道交!

ニンニンニンの忍者の日、太和躰術協会錬誠館文武道場には素晴らしい武縁の風が吹きました。

尊敬する刀禅、小用茂男先生の高足にして新陰流や二天一流の若き名手、高無宝良師範が、御友人の平野愛理さんと遥々当館を訪ね、ご逗留くださいました。


晩には柳生新陰流の三好祐司師範や甲府の武術迷、日原兄も合流、ディープで楽しいミニ合宿が実現しちゃいました♪

初日は御柱祭を控える諏訪大社本宮前宮とみさく神社本宮、諏訪一族の奥城等をを巡り、水神の湯にてゆったりリラックス。


夜は忝なくも当流との交歓稽古に応じていただき、吾妻流の稽古生一同、師範の関口流抜刀術の鋭利にして華麗な演武に息を呑むこと暫し!眼福至極な体験、参加できた門人の皆さんはラッキーでした~!


その後は一品持よりのパーティー、錬誠館名物雪鍋に養老酒造の銘酒五六七も加わり、武術や神事芸能談義に花が咲き、気がついたら明け方…(-o-;)こんなに盛り上がったのは久々♪
翌日は眠い目を擦りながら武扇の稽古。奇正を相生させながら陰陽転換する動きをみんなで楽しみました。

地元のマル秘スポットや縄文考古資料館にも案内、富士、甲斐駒、八ヶ岳に抱かれた井戸尻の雄大なロケーションの中で食べた苺大福、美味しかったですね♪


仕上げはおっこと亭にて八ヶ岳名物の蕎麦を堪能、道場に戻り妻のクラニオセイキュラル療法を体験していただき、帰途へ着かれました。


気持の良い皆様との一時はあっという間過ぎましたが、濃密で滋味たっぷりのこの2日は、今後の流れをまた一層面白く素敵な方へと導いてくれる一歩になったと確信いたしました!

高無先生、三好先生、平野さま、本当にありがとうございます!諏訪の山奥でまたのご来訪をお待ちしておりますよ~o(^-^)o

松凬拝

2016年2月21日日曜日

ハイ☆扇子でっせ!

なぜだか近頃和躰術協会の各稽古会の中で、武扇がやけに流行しています。

このまえのふじみ野教室では、八卦掌の動作でやってみたところ「うわー!素敵☆ぜったいやりたい!!」

八千代でも「動作の確認にちょうど良いですね!扇買います」

八幡や大野でも「指先まで使っているか、良くわかります!」

ここ八ヶ岳の各教室でも「自己満足でもイイからやってみたい♪」・・・だそうです。



こういった方向に進むとは夢にも思っていませんでしたが、あくまで優れものの錬功ツールとして、自分の功を量る手段としてチャレンジしてみるのも悪くないかもしれません。

先ずは順勢内功20式を歩で連環させてやってみるとしましょう
    ∧_∧
   ( ・∀・)/ヽ
    ノ つつ  ● ) 
  ⊂、 ノ    \ノ
    し'




皆さんおおむね素手よりも理解度が早い・・・人は道具を持つ猿なのだろうか・・・とか思ってしまったり(笑)

2016年2月20日土曜日

いとけなき姿に似たり立葵

むかーし昔、日月流剣術の達人だった祖父が、軍服を着て、満州の荒野をバックに立っている姿の写真があります。
ゲートルを巻いた足はすっくりと大地を踏み、背筋のスーッと通った立ち姿は、シャンッと音が出るような感じで気持ちがよく思えたものです。

自分の上海の師父もまた、遠くからでもはっきりとその人と認識できるほどに軸の通った、輪郭のはっきりとした姿で、まるで重さを感じさせないで立っておられる。

思えば私の祖母も、ふわっと浮いているかのようでいながら、シャンッとした一線が美しい人でした。

それに比べて私は・・・姿勢に厳しい内功武術を長年やっているのに、なかなかそういった感じが出ないのはなぜだろうと思っていました。

月日がたち、得難い御縁に導かれて、いろいろなことが理解されてきたのでしょうか・・・腰を入れる入れないという表面的なことではなく、動きというそのものの質というか、純度が上がったと感じた時、自分の姿も幾分か伸びやかな、子供が立っているような素直な形になってきたみたいです。
  

あの姿にはまだ遠いかもしれませんが、なんか少しだけ(特に鼠蹊部が)おじいちゃん似になってきたかもです(笑)

躰轉☆

午前の教室のY君、あっぱれ躰轉の初礼(はつらい)をマスターしてくれました(*´▽`*)b

このあと抜跳(ばっちょう)、飛三界(とびさんがい)、巖石(がんじゃく)、猿渡(さわたり)、六法(ろっぽう)と難しい動きに進んでいきますが・・・まずは上出来!!

子供のころは遊びとして、布団の中でやったり、ハタキを避けるようにやったり、足をつかまれて抜け出したりと、いろいろやらされたのですが、本人からして全く意味が解らず、それでも子供で、身が軽かったので出来たのですが、まさかこういうものすべてが武道の体作りだったとは思いもしませんでした・・・(*_*)

今自分が子供たちに同じようなことをさせて、それも武道や礼法として喜んでもらっているのが何とも不思議で、面白く感じています。数少ない吾妻由来の技、これで少しだけ残してゆけそうな希望が湧いてきました。



 
 
 

雪溶けて

雪とけて こまの足あと 辿るなり



武というのは厳しい…諏訪の柔術の稽古、今日頂いた教えは、身にも心にも沁みました。
本日より柔術は奥伝に入る。...
方波(かたなみ)の技。月の入身で行う。伴落としからの当て身、ひしぎ。日の入身で行う。
また小太刀の技を学ぶ。
こちらのほうはまだまだ初伝。
はっきり言って子供扱い。

そして、私の祖父の伝えた日月の技、二本が復元された。
持換えの多い異色の技。
祖母はこの技で、練達の士を相手取って退けをとらなかった。
師がそうなされているように、さあっと、日常から非常へと移行する心身を…そろそろ平気で実現させていかないといけないんだそうだ。
怖いな。厳しいな(;O;),

2016年2月9日火曜日

諏訪の柔

先日、今年2回目の諏訪神傳躰術の稽古をつけていただきました。師匠は数えで80歳になるのですが、某スキー場にて公認の名伯楽としても大層ご活躍のため、冬季の稽古は不定期になることがあるのです。

連続8日間スキーの指導だったという師匠、雪焼けの顔も心もち精悍になられて、白髪が凛々しくあられます。私が80になった時こんな風貌をしていられるなら、それで十分功(いさお)は立ったと思えるような師匠のお姿に感銘を新たにしました。「お休みにならないで大丈夫ですか?」と言ったら、ニコニコしながら4,5回投げられました。高齢者扱いするとこういった反動が返ってくるということを、いい加減覚えなくては・・・(;´∀`)

今日のお稽古は、樋鳴りの確認。左右の袈裟では右袈裟の手の内の工夫が肝要。最近は左右でも鳴るようになってきましたが、手の内の理屈を考え始めると途端に鳴らなくなってしまう。これは理は後からついてくるが、技を支えるのもまた理、という思考と経験則という大きな問題をはらむ良き材料として、格好の稽古といえる。

次に柔術。肘を使った折敷き技、硬軟自在というのはどういうことか、撫崩、日の入り身、実戦の駆け引きについて。私のような格闘の凡才にとっては教わらなくては気が付かないであろう幾つかの要訣を学ぶ。巧みでいて目立たない、そんなひと味の教伝。何度やっても耳をむしられそうになって正直怖かった・・・

師の技は素朴で、教え方は古朴。しかしその一見単純な技は、腹から手足の指の先までつながった繊細な感覚に裏打ちされているのが最近になって判ってきた。人間の業、というのだろうか、一代一代の専門職が重ねて来た執念、そしてそれを護持するものの底の深さというものを感じ、空恐ろしい気持ちになる。

そのあと組太刀。諏訪流5本の技を繰り返す。ダメダメな自分に腹立つことこの上なし。さりとてこの剣流に有縁の者居らず、暗澹たる気持ちの中稽古を続けるのは辛い。
無刀の捌きは気勢についての注意を受ける。威圧しない静かな気勢こそ必要なのだという。それでも一年前とは格段の進歩なのだということ。自分ではさっぱり実感がないのだが、師匠が言うのだから有難く素直にお受けいたそう、と思う。

写真は相弟子のNさんと師匠の組太刀。

古の後は、恒例の楽しい武道酒の会(*´ω`)
今日は思いっきり腕を振るって、たくさん作って沢山飲み食いしました!ルネッサーンス( ^_^)/▼☆▼\(^_^ ) カンパーイ
今年もがんばるぞ!!