今日はよく歩きました~(*´Д`)
よく刑事ドラマなんかで「現場百回・・・ヤマは足で解決するもんだぜ?坊や」とかなんとかいうてますけど、私みたいな武術フリークも、下手な稽古するくらいなら歩いとけってなもんで、若い時分から平地山谷を問わずよく歩いたものです。
今日はたまたま移動すべき場所までの足がなかったわけで、別に鍛錬を意識していたわけではなかったのですが、帰宅するころには今までにないイイ感じの足の出方になっていて、自分でもびっくりしました。
...
よく刑事ドラマなんかで「現場百回・・・ヤマは足で解決するもんだぜ?坊や」とかなんとかいうてますけど、私みたいな武術フリークも、下手な稽古するくらいなら歩いとけってなもんで、若い時分から平地山谷を問わずよく歩いたものです。
今日はたまたま移動すべき場所までの足がなかったわけで、別に鍛錬を意識していたわけではなかったのですが、帰宅するころには今までにないイイ感じの足の出方になっていて、自分でもびっくりしました。
...
うまく言えないのですが、歩みと前進にラグがない感じなんですね。八卦をずーっとやったり、行者さんと山に入ったりしてきましたが、こういった感覚は初めてでした。
やはり楳本法神先師の故事のように、毎日最低10キロくらいは歩かなくてはいけないのかなあ・・・とか思ったのでした。うーん。
ところで最近は忍者づいていて、今日も以前からずっと気になっていたお宅に、突然訪問してしまいました。
そこは知る人はものすごく少ないのですが、最後の伊賀忍者とも囁かれる名人の終焉の地でして、ついこの間までそこに住まわれていたということは伺っていたのですが、なんというか近寄りがたく、また畏れ多く、なかなか訪問できなかったところだったのです。
でも・・・歩き続けてアタマからなんか分泌しちゃってたんでしょう?ノンアポで「こんにちはー!」って、やっちゃいました。もうね、社会人失格ですよね・・・?
出てこられた方は、最初はびっくりして怪しまれてましたけど、こんなエキセントリックかつエスニックな風体の男にも、ご親切にもご存知のことのありのままをお話しくださりました。
やはり、伊賀流は平成まで脈々29代、その伝承が続いていたようです。でも、もうその場には影も形もありません。ただし、書き物が残っているらしく、三重大学で忍者史について研究している山田先生をご紹介いただき、お宅を辞しました。
山田先生と言えば、兵糧丸や水渇丸の研究で世に名高い中世史の専門家。
「うちから紹介を受けた言えば、いきなり電話しても怒られへんやろ」と、笑って名刺の写しを下さりました。
いつものことながら、RPGみたいなわが道行・・・本当にこれでいいんだろうか、と自問自答しながら、山を飛び谷を越え♪・・・ませんが、気が付けば相当な距離を歩いて、8時ごろに帰宅いたしました。
にんともかんとも。
やはり楳本法神先師の故事のように、毎日最低10キロくらいは歩かなくてはいけないのかなあ・・・とか思ったのでした。うーん。
ところで最近は忍者づいていて、今日も以前からずっと気になっていたお宅に、突然訪問してしまいました。
そこは知る人はものすごく少ないのですが、最後の伊賀忍者とも囁かれる名人の終焉の地でして、ついこの間までそこに住まわれていたということは伺っていたのですが、なんというか近寄りがたく、また畏れ多く、なかなか訪問できなかったところだったのです。
でも・・・歩き続けてアタマからなんか分泌しちゃってたんでしょう?ノンアポで「こんにちはー!」って、やっちゃいました。もうね、社会人失格ですよね・・・?
出てこられた方は、最初はびっくりして怪しまれてましたけど、こんなエキセントリックかつエスニックな風体の男にも、ご親切にもご存知のことのありのままをお話しくださりました。
やはり、伊賀流は平成まで脈々29代、その伝承が続いていたようです。でも、もうその場には影も形もありません。ただし、書き物が残っているらしく、三重大学で忍者史について研究している山田先生をご紹介いただき、お宅を辞しました。
山田先生と言えば、兵糧丸や水渇丸の研究で世に名高い中世史の専門家。
「うちから紹介を受けた言えば、いきなり電話しても怒られへんやろ」と、笑って名刺の写しを下さりました。
いつものことながら、RPGみたいなわが道行・・・本当にこれでいいんだろうか、と自問自答しながら、山を飛び谷を越え♪・・・ませんが、気が付けば相当な距離を歩いて、8時ごろに帰宅いたしました。
にんともかんとも。
0 件のコメント:
コメントを投稿