2016年3月1日火曜日

忍縁ふたたび・・・

AKM48(赤目四十八瀧)を後にした我々真田忍軍AGS007(吾妻7騎衆)末裔一行(笑)、次なる忍者伝承を求めて山懐に抱かれた某所へ移動でござる。

ここは伊賀をさらにこえた大和の宇陀郡、ものすッごい山の中。家は山の尾根尾根に張り付くように立っている、まさに隠れ里のようなところ。
実はここに来る前に御土産物屋上田やさんのお爺さんが忍者の末裔で、銅銭を綴った鎖帷子(重そう…)や忍術道具が伝わっているということを伺い、早速行ってみる…となんと、おじさんはご不在(;´Д`)

写真は、柏原城で、籠城に備えて植えられたお茶の樹が野生化したもの。

折角来たのだからと気を持ちなおし、摩利支天様に祈念しつつ、付近の方いろいろに根掘り葉掘り聞き込みをしてみたところ天祐あり!あるおばちゃん曰く、実はある古忍の末裔が山の奥にお住いだということで、そちらの住所を聞いて訪ねてみることに…

と、やって来てみても、山仕事の人たちのほかは出会う人もおらず、行き合うことも難しいような細い山道の連続で、(ホントにここかいな)と正直不安になります。おばさま曰く「あの何とかって橋を渡って、大きな杉の樹かな?松かな??あそこを左に云々、道なりにまっすぐ行って、すぐ,スグって言ってもね、あんた歩いたらエライよ。車でそう、15分…30分かなあ??じゅうしょ?そんなのあんた、おばちゃんにはわかんないよ!」みたいなアバウト且つ頼りになる情報を頂いたので、まあそれしか手掛かりがないわけですな。でも自分の勘と忍縁を信じて突き進む(それもノンアポで)が松凬流で御座候・・・∵(゚ε゚(○=(*゚▽゚*)バシ!

・・・というか道はこの一本しかないから仕方ないし、引きかえすにもUターンしづらそうだし、あのおばちゃんも「まーまー大丈夫!そんな人じゃないから」と、なんとなく請け合ってくれたわけだし(まーまーそんな人って何だろうとか不安に思いましたが)行くしかないっす、ってな感じで奥へ奥へと進んだのでした。


そんな折、突然ぱあっと視界が開け、明るい谷筋の民家が数件ある集落につきました。「ここか!」とは言えども人影もなし。すると、小高い丘の上に集会所のようなところがあり、芝生にテーブルを置きティータイムをされている優雅な三人のおじ様方と目があいました。

「うおっ!第一村民発見!」これを逃す手はないですばい!と、今日はダーツの旅のAD風なテイストで(何しろ忍者ですから)「お取りこみのところすいませ〜ん、このあたりに忍者●●様の末裔の方がお住いって聞いてきたんですが~??」

・・・すると意外な反応が。

おじさん①「●●?あんた●●さんに何の用があるの?」(ちょっと探るように)

松「あ、私じつは長野の諏訪から参りまして、私の家に僅かに伝わった忍者の伝承を調べると、どうしても伊賀と甲賀にその源流があるということが判ってまいりまして・・・」

おじさん②「へえ・・・でも、普通誰かの紹介で会うものでしょ、アポイントなしで会おうなんて無いでしょう。(ジロジロ)」

松「ウッ…(バリバリ正論)そうだと思います。ですが、先ほど思いがけず○○さん(おばちゃんの名前)からこちらのことを伺い、失礼とは存じながらもいてもたってもいられず…(汗)」

おじさん③「・・・わかった。あんた本当に運がいい。ここにいる(おじさん②)が、●●の直系、●●さんだよ。」 

松「ひぇっ‼そ、そうとは知らず、失礼いたしました‼」

なにこの神展開!?と思いつつも、話すよりこっちの方が早い、と二人で道之礼法から躰轉しての刀刃避けや手裏剣の形をお見せしたところ、疑念を解いてくださり「それはそれは遠いところからよくぞおいでくださった・・・」と、親しくお話をしていただき、コーヒーまでご馳走になってしまいました(*'ω'*)b忝し!

 緊張も解けて、二言三言お話をする間に、私の祖母や割田さん、岩櫃の富沢三郎さんや祢津先生が言っていたことと同様のことを、深くご存知であるなど、この方は間違いなくその道の方だと確信するに至りました。忍びの道は忍び、ということでありましょうか★

●●さん(ご迷惑をお掛けしたくないので、写真や実名は控えさせていただきます)方は、せっかくの団らんのひと時を、時間が許す限りお付き合い下さり、いろいろご教示をくださいました。

忍者という言葉は最近の括り方で、もとは地の侍衆で、諜報や特殊任務のプロ集団といった方がよいということや、伊賀でも元々は我が家と同様棒手裏剣が主流で、中には木の棒の先に刃を仕込んだものもあったということなど、とても肯首できる内容で、武器や伝書も先の大戦のどさくさや供出で、多くは失われてしまったということなど、我が家と同様のご苦労を辿られたことも推察できる一面もありました。

そして特に印象深かったのは「忍びとは、自然や環境を有効に味方にして咄嗟の場合でもわが身や大切な存在を守ってゆくという考え方なのだ」ということです。これは、中々普通の人には言えないことです。大変素晴らしい教えを頂いたと感謝しております。一緒にいたおじさんたちも「●●さんとは長い付き合いだけどこんな話はじめて聞いたよ…」と、驚かれていました。

●●さんとは再会を誓って住所を交換していただき、「私はまだ仕事があるけれど、家の方には妻が居るから、行っていろいろ見てくるといい。」と有難くも忝いお言葉。ご厚意に甘えてさらに少し行ったご自宅へ。
奥方様も大変品の良い方で、突然の闖入に最初は驚かれていましたが、先ほどのことをお話すると「まあ、主人とお会いなさったのですね…」と嬉しそうにお迎え入れ下さり、天正伊賀の乱当時の漆黒の大黒柱に触れさせていただいたり(!)、地方に伝わる数々の貴重なお話をしていただき感銘を受けました。そして大河ドラマ真田丸の出浦対馬守の話になると「毎週楽しみに見ています。これからも見る楽しみが増えました。」とのこと。

それにしても、これは偶然といっても少し出来過ぎのような気がいたします。私が忍活を始めてからまだ一年弱ですが、岩櫃から始まって、甲賀、伊賀、そして諏訪と、出会うべき方がたと出会い、急速に何かが繋がってきているのを感じます。なんというか物凄い忍者への『引き』を感じて、少し怖いような気持ちすらします。どれもこれもわが守り本尊、摩利支天様のご加護なのでしょう・・・
伊賀忍者の非常食が郷土の味へ。

ともあれ、胸いっぱいのわくわく感を抱えて、一行は諏訪盆地目指して帰途についたのでした!お会いできた皆さまとの「忍縁」に感謝☆感激でござる(*'ω'*)ノ

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