備忘録
今日も順心老人との稽古。
(注:順心斎老先生は、僕の柔術剣術のお師匠で、甲陽地方に残された諏訪古伝の体術を今に伝えるおそらく唯一の伝承者です。御年80ですが実戦で磨かれた技は衰えることを知らず、私は毎回めためたに扱かれて2年が経ちました。最近お友達になった方が多いので一応説明してみました。)
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今日も順心老人との稽古。
(注:順心斎老先生は、僕の柔術剣術のお師匠で、甲陽地方に残された諏訪古伝の体術を今に伝えるおそらく唯一の伝承者です。御年80ですが実戦で磨かれた技は衰えることを知らず、私は毎回めためたに扱かれて2年が経ちました。最近お友達になった方が多いので一応説明してみました。)
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まず驚くのはその足腰の強さ。80歳の年齢を全く感じさせない粘り。よく四つ相撲をするのだが、一回たりとも押し込めたことがない。異常な強さだ。まるで牛と相撲をしているように感じる。
以前、といっても去年?ロシア人の2メートル、120キロある巨漢と押し相撲をして、相手は一歩も押させなかったというのだから凄い。大汗をかいて仕舞には地べたに座りこんだようだ。
押し込めない代わりに自分も押せなかったらしいが、柔の技を使うといとも簡単に地べたに突っ込まされてしまったというのを、目撃した数名の人から聞いている・・・世の中には化け物がいるもんだ。
ここ最近になって、順心斎斎先生の教えが全くぶれていないことに気が付いた。出会ってから、私は紆余曲折、迷いながら稽古をしてきたが、今日やっと師の教えの通りに動くことができたようだ。
すると、師の万力のような力で抑えられていたとしても、殆ど何の抵抗もなくスルリと投げ捨てることができた。
これは予想だにしない全く画期的な経験だった。なるほど、未だ言葉では何とも言えないが、手掛かりには十分な感覚。これが全身に及べば、大きな相手でも関係ないのかもしれない。
受け身をとりながら師は破顔一笑「2年教えてやっと私の言っていることを真に受けてくれましたね!」との言。まったく面目なく、申し訳なく、忝かった。
思うに最近上海の師父に直された経験がもろに効いていたようだ。
腰を中心に動く場合の、頭部のリードの配合の問題なのだが、少しの差が身体にラグを作って、一調子を阻害していたようだった。 むしろ手足などはほとんど動いていないくらいがいい。
まさに躰術が躰術たるゆえんだと再認識した。
諏訪の柔は肘当て、足当て、足払いを多用する。
その一つ一つが鋭く、早く、重い。師のそれを見るだに、もろに食らうとヤバイと思う。打つほどに高く、早く引く稽古をする。
80歳にも拘らず(…ってのが多いのだが:笑)ロー、ミドルを一気に蹴り分ける師。まったく経験したことのない蹴りのポジションは興味深い。しかしこれも去年見ていた姿とは違って見える。
つまり、何にも見えていなかったのだ。
いまでは腰から上がる力がありありと見える。
刀術に関しても、今日は目が開かれることが多かった。
何故組太刀を稽古するのか、その意味、どんな意識で行うのか。
武術は畢竟人を殺し、自分を守るものなので、その稽古は自然生き死にの稽古となる。その気で追及しなければ大成しないが、生涯使わないことを旨とする。実に無用の用の徳を養う。
一般の人からすると、考えられないような無駄であり、人様に決して勧めることのできるものでは無い、ということ。
その意識の上で行う組太刀。
髪の毛まで切り降ろされ、頭蓋に風を感じてピタリと止まる木刀。
必死の気構えで出ていかなくては、足を払う相手に乗って、上段を打つことが出来ない。それをさらに月の捌きに嵌め落として勝ちを得る・・・
うそっこで本当を生み出すのが組み太刀なんだよ、とにこやかに言うだが、そこに打ち込める隙は見当たらない。
残心の平中段、そこからの変化、左手の位置、前捌き・・・
山のごとく、海のごとく険しくて深い課題に今回も呆然としたのだった。
・・・じつは今日は師匠が可愛がっていた庵の近所に住む女の児の葬儀の日だった。僕も良くお話をしたことのあるその少女は、つい一昨日まで師の畑の傍で、飽きずに作業を見て「おじさんはよく働くんだねえ」と笑っていたのだという。
父親が朝突然訪ねてきて「夜に突然亡くなった」旨を知らせてきた。師は死に顔を見ると、それが心に残る、お別れは私の胸の中で行いますから・・・と言って参列は固辞されたそうだ。そのあと涙にくれる父親の肩を抱いて、しばらく一緒にいてあげたのだそうだ。
・・・あまりにも早すぎる、突然の命の幕切れに、命とは、生死とは、それを超えて流れるものや、人の思いと言ったことごとに思いを馳せずにいられなかった今日の稽古。
弔いの警笛が森を伝う風に乗って聞こえてきた。
先生と僕は森の中の道まで出て、風上に向かって、めいめい最後の挨拶をしたのだった。
以前、といっても去年?ロシア人の2メートル、120キロある巨漢と押し相撲をして、相手は一歩も押させなかったというのだから凄い。大汗をかいて仕舞には地べたに座りこんだようだ。
押し込めない代わりに自分も押せなかったらしいが、柔の技を使うといとも簡単に地べたに突っ込まされてしまったというのを、目撃した数名の人から聞いている・・・世の中には化け物がいるもんだ。
ここ最近になって、順心斎斎先生の教えが全くぶれていないことに気が付いた。出会ってから、私は紆余曲折、迷いながら稽古をしてきたが、今日やっと師の教えの通りに動くことができたようだ。
すると、師の万力のような力で抑えられていたとしても、殆ど何の抵抗もなくスルリと投げ捨てることができた。
これは予想だにしない全く画期的な経験だった。なるほど、未だ言葉では何とも言えないが、手掛かりには十分な感覚。これが全身に及べば、大きな相手でも関係ないのかもしれない。
受け身をとりながら師は破顔一笑「2年教えてやっと私の言っていることを真に受けてくれましたね!」との言。まったく面目なく、申し訳なく、忝かった。
思うに最近上海の師父に直された経験がもろに効いていたようだ。
腰を中心に動く場合の、頭部のリードの配合の問題なのだが、少しの差が身体にラグを作って、一調子を阻害していたようだった。 むしろ手足などはほとんど動いていないくらいがいい。
まさに躰術が躰術たるゆえんだと再認識した。
諏訪の柔は肘当て、足当て、足払いを多用する。
その一つ一つが鋭く、早く、重い。師のそれを見るだに、もろに食らうとヤバイと思う。打つほどに高く、早く引く稽古をする。
80歳にも拘らず(…ってのが多いのだが:笑)ロー、ミドルを一気に蹴り分ける師。まったく経験したことのない蹴りのポジションは興味深い。しかしこれも去年見ていた姿とは違って見える。
つまり、何にも見えていなかったのだ。
いまでは腰から上がる力がありありと見える。
刀術に関しても、今日は目が開かれることが多かった。
何故組太刀を稽古するのか、その意味、どんな意識で行うのか。
武術は畢竟人を殺し、自分を守るものなので、その稽古は自然生き死にの稽古となる。その気で追及しなければ大成しないが、生涯使わないことを旨とする。実に無用の用の徳を養う。
一般の人からすると、考えられないような無駄であり、人様に決して勧めることのできるものでは無い、ということ。
その意識の上で行う組太刀。
髪の毛まで切り降ろされ、頭蓋に風を感じてピタリと止まる木刀。
必死の気構えで出ていかなくては、足を払う相手に乗って、上段を打つことが出来ない。それをさらに月の捌きに嵌め落として勝ちを得る・・・
うそっこで本当を生み出すのが組み太刀なんだよ、とにこやかに言うだが、そこに打ち込める隙は見当たらない。
残心の平中段、そこからの変化、左手の位置、前捌き・・・
山のごとく、海のごとく険しくて深い課題に今回も呆然としたのだった。
・・・じつは今日は師匠が可愛がっていた庵の近所に住む女の児の葬儀の日だった。僕も良くお話をしたことのあるその少女は、つい一昨日まで師の畑の傍で、飽きずに作業を見て「おじさんはよく働くんだねえ」と笑っていたのだという。
父親が朝突然訪ねてきて「夜に突然亡くなった」旨を知らせてきた。師は死に顔を見ると、それが心に残る、お別れは私の胸の中で行いますから・・・と言って参列は固辞されたそうだ。そのあと涙にくれる父親の肩を抱いて、しばらく一緒にいてあげたのだそうだ。
・・・あまりにも早すぎる、突然の命の幕切れに、命とは、生死とは、それを超えて流れるものや、人の思いと言ったことごとに思いを馳せずにいられなかった今日の稽古。
弔いの警笛が森を伝う風に乗って聞こえてきた。
先生と僕は森の中の道まで出て、風上に向かって、めいめい最後の挨拶をしたのだった。
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