2016年6月30日木曜日

我を知り初めて他を知る蛙の子 それも又善しYES WE CAN!だね☆


もう20年ほど前、東京の小金井公園の畔に暮らしていた時のこと。

霜が降りる11月の武蔵野の雑木林の中で、小柄なお爺さんが見たこともないような太極拳を錬拳されていた。

その動きが上品で、見事で、何とも言えない神韻縹渺とした風格があ
ったので、ひと段落ついた所を見て、思わず声をかけてしまった。

ひょっとしたら日本語が通じない可能性もあったので、まずはは中国語で話しかけてみると
「大丈夫、私は日本人だよ。」と一言。

不思議で素晴らしい太極拳を、僭越ながらも褒め称えると、
「自分の到っているところ、至らぬところは自分が解っております。貴方のお言葉は大変ありがたいが・・・」と、簡潔に答えられた。

それまで出会った人は、自分も含めておおむね、ほめればうれしい顔をする。ケチをつければ当然不機嫌になる。

しかしそのご老人は、ぼくの評価などそよ風の様に受け流し、それでいて全く嫌みのない爽やかで暖かな眼差しで、僕をじっと見つめた。
「あなたは本格的なものを中々良く稽古をされてきたようですから、こんどは禅もおやりなさい。私が良い老師を紹介できますよ」と、また一言。
それからベンチで暖かいコーヒーを飲みながら、小一時間も話し込んでしまった。

そのご老人ーI老師は戦前、上海の東亜同文書院大学校に学び、日中のかけ橋を自任して活躍した方だった。中国にいるときは太極拳の素晴らしさに惹かれ、手ほどきを受けたらしい。
敗戦後、大変な思いを経て帰国、それでも中国への想いは消えず楊名時老師の唱導する太極拳の門に学び、また道元禅師の正法眼蔵随紋録に出会い、曹洞の禅を学ぶ。

どおりでそれまで見てきた太極拳とは一味違った風格な訳だ。楊名時老師の太極拳の表現の中に、I老師一代の大覚悟が溢れている・・・僕はその空気感に神々しささえ感じた。
それまで僕は、流派や伝承系統の純粋さ、実践的に使えるのか否か、だけを自分なりの評価の軸に据えていた。

老師との一期一会がなかったら、ひょっとしたらいまだに僕は正統非正統、有効非有効の二律の世界で消耗していたかもしれない。

しかし、こういった素晴らしい調和の風格を醸す在り方もあるのだ。理屈でなく、そう感じさせてくれた出会いだった。

思えばあのころはいろいろあった。自分の価値観もグラグラしていた。信じていたものを、頑なに守り通すことに限界を覚えていた時期でもあった。そんな時に老師の動きは素晴らしく美しいものに思えたのだった。

老師とのお付き合いは、これを皮切りに、おもに禅関係(多くは書簡や書籍の贈与など)をつうじてのものだったが、先生がお亡くなりになる前まで継続した。その中で学び得たものはこの年齢になって、より染みてくる内容が多い。

議論は異論を生むもの。異論はとうぜんは諍いの元となる。

異論でなく「それも又良しイエスかな」の心で(笑)
大らかにしていたって、全然かまわない。
残るべきものは残り、影響を与えるべき時には、文化的遺伝子はしっかりと残すものなのだ。形も大事だが、されど・・・高が・・・、と言うことを忘れないようにしたい。

オーソドックスにしがみついて、本質を失ってしまうということもありうるだろう。僕はむしろそれが怖いし、まったく性に合わないのだ。むろん横道に逸れ過ぎるということは重々注意・・・
そんな感じで自分のなかでもいっぱいいっぱいなんだから、人様のことなぞどうこう出来るとは、とてもじゃないけど思えないのだが・・・


そうやってゆったりとした構えで、脚下照顧しつつ歩んで行きたいものである。



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