尊敬する武術の大先輩から、大変嬉しいお言葉を賜りました。
普段褒められるということが皆無の生活をしておりますもので、天にもノボル・・・とはちょっとオーバーですが(笑)相当に励みになりました( ^)o(^ )vので、皆さんのお褒めの言葉、お待ちしております(@_@)
・・・というのは冗談ですが(笑)、私如きものは本当に武術に助けられ、扶けられ、援けられて今まで来たのだなあ、と感じております。武術を司る神様がいるのなら、心より感謝申し上げたい。...
ひとえにこれは技、それを運び来た道、ヒトこそが尊いので、珍獣なんぞはその掌中に遊ぶエテ公同全、偉大なる師匠たちの前では穴が有ったら隠れてしまいたい軽輩なのでございます。
普段褒められるということが皆無の生活をしておりますもので、天にもノボル・・・とはちょっとオーバーですが(笑)相当に励みになりました( ^)o(^ )vので、皆さんのお褒めの言葉、お待ちしております(@_@)
・・・というのは冗談ですが(笑)、私如きものは本当に武術に助けられ、扶けられ、援けられて今まで来たのだなあ、と感じております。武術を司る神様がいるのなら、心より感謝申し上げたい。...
ひとえにこれは技、それを運び来た道、ヒトこそが尊いので、珍獣なんぞはその掌中に遊ぶエテ公同全、偉大なる師匠たちの前では穴が有ったら隠れてしまいたい軽輩なのでございます。
そもそも私は7か月の未熟児で生まれました。
お産も大変だったそうで、母はそれで二人目を断念したそうです。紫のチアノーゼ状態で半死半生で保育器にひと月以上もいたのだそうです。その時に刻まれた心身の後遺症的なものは、今に至るまで影響を及ぼしております。
武術の家に生まれたのにもかかわらず、毎日天井を見ている自分を大人たちはどう思っているのだろうか、と毎日思い悩み、また特殊な家庭環境などもあって、幼少期は過度のストレスと虚弱の為、強度のチック症になってしまいました。
だから屈託なく育てたよその子がうらやましくて仕方がありませんでした。だからこそ心身の向上には人一倍興味があったのだと思います。
武術、荒事が多かった環境でしたが、私を救ったのも武術の稽古で得られる体力の向上や同学との友情、そしてこの世には達人がいる!という希望でした。
わたしはいじめられていた時もあったし、ぐったりしていた時もあったし、なんにもやらずにぶらぶらしていたこともありました。グレて危ない道に入っていったこともありました。無茶もいろいろやりました。でも、結局は武術・躰術が大きな指標になっていたので戻ってきてしまうのです。
大きく迂回しても、結局突き蹴りして、棒を振っている自分がいるのです。まあ、これからも多分その感覚は変わらないのだと思います。これが一番しっくりくる、自分らしいひと時になってしまっているのです。
なぜか武術・躰術に尽きない興味と面白さを感じる・・・これが武縁というものなのでしょうか・・・武術を長く続けておられる先輩方は、その点肯首されること多いのではないでしょうか。
身体が弱いとか心が平穏でない人が稽古会に何年も通ってくれていることと、私の幼少の経験と言うのは関係があるのだと思っております。それは自分は優等生だったり、特待生だったりしたことは一度もないという自覚があるからなのではないかと思っています。
嬉しいお言葉を賜って却って申し訳ないのですが、純然たるお褒めの言葉と言うのは、これはまったく私にとっては過分も過分・・・マイナスからの出発で、今でもとろとろやっている、と言うだけなのです。最近になってやっとすこしだけ・・・健康というものを享受することができてきた、これまでのことも無駄ではなかったのかなあ、と感謝を表すことが出来るようになってきました。
おじさんになって、やっと屈託なく、からりと笑えるようになってきたということでしょうか。
ただ一点・・・この道の味わいについては、深く繊細に、そのうま味を楽しむこと人後に落ちない所存です。だからこそ、ひと様にもお勧めもし、是非ご一緒に!と楽しんで行けるわけです。
そのような意味でも、親や師匠には感謝してもし切れないのでございます。長文失礼申しあげました_(._.)_
お産も大変だったそうで、母はそれで二人目を断念したそうです。紫のチアノーゼ状態で半死半生で保育器にひと月以上もいたのだそうです。その時に刻まれた心身の後遺症的なものは、今に至るまで影響を及ぼしております。
武術の家に生まれたのにもかかわらず、毎日天井を見ている自分を大人たちはどう思っているのだろうか、と毎日思い悩み、また特殊な家庭環境などもあって、幼少期は過度のストレスと虚弱の為、強度のチック症になってしまいました。
だから屈託なく育てたよその子がうらやましくて仕方がありませんでした。だからこそ心身の向上には人一倍興味があったのだと思います。
武術、荒事が多かった環境でしたが、私を救ったのも武術の稽古で得られる体力の向上や同学との友情、そしてこの世には達人がいる!という希望でした。
わたしはいじめられていた時もあったし、ぐったりしていた時もあったし、なんにもやらずにぶらぶらしていたこともありました。グレて危ない道に入っていったこともありました。無茶もいろいろやりました。でも、結局は武術・躰術が大きな指標になっていたので戻ってきてしまうのです。
大きく迂回しても、結局突き蹴りして、棒を振っている自分がいるのです。まあ、これからも多分その感覚は変わらないのだと思います。これが一番しっくりくる、自分らしいひと時になってしまっているのです。
なぜか武術・躰術に尽きない興味と面白さを感じる・・・これが武縁というものなのでしょうか・・・武術を長く続けておられる先輩方は、その点肯首されること多いのではないでしょうか。
身体が弱いとか心が平穏でない人が稽古会に何年も通ってくれていることと、私の幼少の経験と言うのは関係があるのだと思っております。それは自分は優等生だったり、特待生だったりしたことは一度もないという自覚があるからなのではないかと思っています。
嬉しいお言葉を賜って却って申し訳ないのですが、純然たるお褒めの言葉と言うのは、これはまったく私にとっては過分も過分・・・マイナスからの出発で、今でもとろとろやっている、と言うだけなのです。最近になってやっとすこしだけ・・・健康というものを享受することができてきた、これまでのことも無駄ではなかったのかなあ、と感謝を表すことが出来るようになってきました。
おじさんになって、やっと屈託なく、からりと笑えるようになってきたということでしょうか。
ただ一点・・・この道の味わいについては、深く繊細に、そのうま味を楽しむこと人後に落ちない所存です。だからこそ、ひと様にもお勧めもし、是非ご一緒に!と楽しんで行けるわけです。
そのような意味でも、親や師匠には感謝してもし切れないのでございます。長文失礼申しあげました_(._.)_
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