2016年3月11日金曜日

長拳のイミ

内家拳というとステレオ的に沈みを強調される傾向があると思います。

僕は所謂内家拳と内功武術は、括り方が違うと思っていますので、ことさら脱力や沈むことのみを重く見るというよりは、むしろ伸びあがり、浮き上がる瞬間に獲得できる軸の在り方も、同じくらいに大切な要求だと思い稽古をしています。...

これは入門2年目に突入のH兄と、武扇を持ち、あたかも舞踊や京劇のようにも見える(燕子帰巣)という所作を撮った一枚ですが、そこには当門の躰術的な思想が込められており、他所の道場に於いて内家を10年以上学んだというH兄の軸の所在と、私のそれとではコンセプトが異なるということがよくわかる一枚になったので掲載してみました。

別に彼が下手だというのではなく、むしろ四苦八苦しながら身体のコンセプトを変えていこうと努力する彼にエールを送るものなのですが、当門の志向する要求や思想は、長拳のそれにも近似して内家を冠する門派としては独特なものがあるということを図らずも示してくれる格好の一枚になってしまいました。

必要な場合は背中を丸めるだけではなく、反り伸ばし、時にきつく締め、柔かく連動する軸は常に片足のどちらかに下がってゆくように伸展させます。目線も身体の順逆の捻転の先端にあり、それを領導する意識をもって整えてゆきます。

ある長拳を長年やってきた方が稽古をされて数年、「長拳がなぜあのような身体使いをするのかがやっとわかった」と印象深いことを仰っていました。
たしかに。近代になって長拳も、武術としてというよりは表演の演目として捉えられることが多くなってくるに従い、その中にあったはずの姿勢要求や内功が薄まり、本来の姿を想像できなくなっているような気がしてなりません。
姜氏門は内功長拳(秘宗拳)を大事にしてきた経緯があり、形意拳や八卦掌であっても、その基本を外して演練することはありえません。

私は思うのですが、昔日の面影を善く残している流派では、所謂内家、外家という差異を今ほど強調することは無く、おおむね私のやっていることにも肯定的に捉えてくださる場合が多いのではないか、と考えています。
以前、四川省の片田舎の、誰も知らないような民間拳師の中に、私たちと同じ思想を持った方が居て、お互いに当代武術事情に肩身の狭い思いをしていた矢先だったので、「やっぱりそうだよな!お前良いこと言った!吞め~!!」みたいな感じで意気投合した経験があります(笑)
その人は風采の上がらないどこにでもいそうなおっさん(笑)だし、やっている武術も長拳だか太極拳だか、空手だかなんだか・・・といったような地方拳術なのですが、キッと目をくれると空気が変わり、七十何歳でも跳躍翻旋思いのまま、そして柔かく懐の深い手ごわい技を持っていました。
こういうことって実はけっこうあるのですね。真実を見る目を曇らせないようにしていかなくてはと考えさせられた一コマでした。

文章やメディアを通して観念化すると、太極拳は太極拳、長拳は長拳、空手は空手、忍者は忍者・・・(笑)と、それらしいモノが出来上ってきてしまいます。それが大衆にとって受け入れやすいものであった場合は「イワユル」が横行し、本来の何気ない、表現のしようのないものは駆逐される傾向にあります。でも、それって文化的には衰退ともいえなくね?いえなくなくなくね??・・・まあ、多くは語りませんが(´・ω・`)

ですから、今僕が行っているような言語化、再概念化という試みも、大きな危険をはらんでいると言えなくもない。いえなくなくな・・・まあ、だからこそ、極力宣伝なしで、縁を頼りに尋ねてきてくれた方たちだけに、私の信じているものをお土産に持っていっていただこうと思っております。・・・こんな珍獣でも、意外と頑固なところもあるでしょ?意外だった~??( *´艸`)

2016年3月10日木曜日

菜食生活、慣れるとラクだ(*'ω'*)

去年の日記から

菜食、というかマクロビをやめたという人のブログが話題になっているらしいので読んでみた。

そのひとの主張では「完全菜食の人ですごく健康そうな人に会ったことがない」という素朴な疑問から始まって、「植物食の人は吸収するとき必ず糖質に変換されて吸収されるので、どうしても糖質過多になってしまう。」という理論のところと、マクロビでいう無双原理、いわゆる陰陽の法則では食物のすべての分類は割り切れないのでは・・・という素直な視線があって、なるほど、と思わせる説得力もあるし、そういう風に思っている人は少なくないだろう、とおもった。


何よりいいのはこの人は個人的に、長年マクロビの実践をしてきた中で、「なんかおかしい」という違和感を大事に持ち続けながら、自分なりの模索を繰り返していた点だと思う。そうでなければこういった説得力のある主張は書けないと思う。
...
しかしと言ってはなんだけれど、僕は完全菜食をはじめて3年以上になるが、この人の主張するような不健康な感じが全くない。肌がカサカサしたり、抵抗力が落ちたり、怒りっぽくなったり・・・と、よく見る菜食原理主義者のイメージとはかけ離れた体格、体力を維持している、というか以前より燃費が良くなり、体の切れは増し、まったく調子がいい。

仕事の体術教師として、多い時は一日8時間の運動をこなし、多くの人と交流しながら、別段以前より怒りっぽくなったり、悲嘆したりということもなく、むしろ淡々として爽快、あくまでも主観だけれど、以前より落ち着いたような気がする。まあ、歳を取ったというのも大いに関係しているだろうけれど。

そこで思うことー
上述の記事が人の目に触れたとき、「なんだ、やっぱり極端はダメだよな、中道中道・・・」という短絡的な反応が多かったような気がする。

それはあくまで何の体験も経ないただの直観、それも無責任なつぶやきの場合が多いわけで、そのブログを書いた人や僕のように、自分の身体を以て導き出した結論が語られたわけではない。(もちろんそうでないものもあるけれど)

それでも日本人は「和を以て貴しとなす」国ぶりが良くも悪くも身に染みているわけで、なんというか「中道」とかいうふわふわもふもふしたコトバが大好き!なので、まあ、早い話安心したい大多数の人は、物分かりの良い、まとまりの良い、落ちの着く着地点、この場合は「完全菜食」なる異端に対しての拒否反応というものに根拠を提供しただけになっているような印象がある。



残念ながらそんなに物わかりが良い方でない僕は、人から見れば極端な生き方をしているのかもしれない・・・でも、自分的にはなるようにして自然になっているわけで(内功修練の結果、菜食を余儀なくされている)信じるところを只行っているというだけなので、まあやっぱり珍獣ってことなんですよね・・・(´・ω・`)ず~ん!

2016年3月3日木曜日

黒サイ

忍者繋がりの、愛知県忍者連盟・宮里龍殿の申されるところによると、3月1日の今日は、なんとサイの日だそうです!

そこで私も久しぶりに釵(琉球十手)を稽古してみました。


 外は氷点下でも、釵を錬れば重さと緊張感でじっとりと汗をかきます。
足に落とせば穴が開くし、勢いよく取り回しそこなうと窓ガラスを破壊するかもしれません。
...
まあ、そういう緊張感が武器を稽古する良さでもあり、それを高速で正確に扱うから、村上勝美先生の仰られる「武才」が高められるのだと思います。

専門外の武器ですが、一応恥を忍んで、というか最近初々しさや恥じらいがなくなってきましたので、遊びでアップしてみます。お目汚しです。


・・・ところで忍者がサイを持ち始めたのって何時からなんかなあ・・・たぶん映画「アメリカン忍者」あたりが嚆矢だったんではないかなあ。ちなみにあのジョン・マカリスターのシリーズ、むっちゃ好きです!

紅葉のごとく

真田忍軍とも言われる吾妻衆の末裔で、その教えのかすかな残照を伝えていたと思われる僕の祖母が、得意技として、子供のころから投げていた手裏剣術があります。

その要訣の中に(僕が知る限りでは)他ではあまり見かけないものが幾つかあるのですが、その中に(紅葉の捻り)と言って打剣する際に手の内をきつく捻るというのがあります。
でも・・・これを守って打つと、これが全然当たらない。刺さらない。
...
十字と違って、真田の古忍が投げていたのは飽くまで棒手裏剣ですから、少しでも捻りが加わるともう先端にスピンが掛かってしまい、結果手裏剣は腹を打って無残にもボトリと落ちてしまうのです。

逆に、祖母の言った通りにしないで、平に持って直ぐ打ちしたほうが遥かに真っ直ぐ、気持よく刺さるのです・・・ですから最近は諦めもあって「あれは多分手裏剣の繰りの際の動作が様式として残っただけで、打法自体とは関係がない、もしくはむしろマイナス要因なのかもしれない・・・」と思って、他流のような手の内で投げたりしてお茶を濁していたのでした。

・・・が、今日の稽古で、それはやっぱり、自分の未熟さを棚に上げた、浅はかな考えだったということに気が付きました(;´Д`)

圓月の表と呼ばれる投法を訓練していた時、何か纏まった感じがあったので、ふと後ろを見てフォームを確認すると、いっぱいいっぱいに伸ばした腕が、肘の先から逆に捻られ、指先まで反りかえるほどにストレッチが掛かった状態で手裏剣を手挟んでいることに気が付きました。


順逆にキュウキュウに捻られた腕は、まったく遊びがない状態で、腕だけがわがままを言って何かするような弛みはちょっともございません。それ故に身を使って、ブレのない軸移動を心掛け乍らフォームを大切にして投げてみました・・・すると、急に今までにないような深さ、強さ、正確さで手裏剣が刺さりはじめたのです。これは嬉しかった!

すぐに鉄、ステン、串、箸などいろいろ投げて試しましたが、一本の箸などはベニヤの壁に突き刺さってしまいました。

そしてうまく刺さった時の手の内の形は、もう本当に祖母の舞踊のような手の形と瓜二つになっているのです(^O^)/

「ああ、これだったんだ!」という感動も、もう少しで伝統を誤るところだったという自己嫌悪にナカナカ打ち勝てず、一時間以上頭を真っ白にして投げ続けましたが、全然肩が痛くならないのがまた面白い。筋肉を順逆に締めて使うので、局部的な力が加わらなかったのだと思いました。

さらにそれが違うフォームでも使えるのかと思い、早速実験。ギリギリまで絞った腕を更に折りたたむことで、ポテンシャルを保持させたままフォームを小さくし、弧月の形で打ってみたところ、これも同様のクリーンヒット!今日は自分手裏剣史上最高の結果となりました。

そして案の定というか、意外というか、ふたを開けたら、お婆ちゃんがやっていた(紅葉の捻り)そのまんまの何気ない形に落ち着きました。ヤッパリ・・・(;・∀・)

・・・何というか、まだまだ伝統的な教えの本意って、読み解く人を待っている(ビジー)状態でいるのかもしれませんね。そのまま失われたり誤解されてしまった教えも沢山あったことでしょうね・・・猛烈に反省&また一つ祖母に教えられた気がした今日の稽古でした。

(でも相変らず手裏剣の腕はへぼです。あくまでも当社比なのでそこんとこ( `・∀・´)ノヨロシク)

2016年3月1日火曜日

鍵縄はあぶないから振り回してはいけません。

ついさっき道場の修繕をしていたら、富士見町の役場から面白い電話がありました。

 「あの、いま日本テレビのニュースゼロから問い合わせがありまして、イヨクさんに忍者の道具のことで伺いたいということなんですが、お繋ぎしてもよろしいでしょうか??」

 「…まあ、私のご協力できることはあまりないと思いますが」と申し上げて、電話をつないでいただきました。

「実は、今朝、紐の先に尖った熊手のようなものって、なんというのでしょう?ああ、そう鍵縄というんですか?包丁で人を刺してから、それを振りまわして警察官に威嚇発砲され逮捕された学生がニュースになっていまして、その本来の使い方って、実際どういう具合だったのか、もしよろしかったら実演していただければと思うのですが・・・」という内容にびっくりぽんでした。
...
そこで私は
①あれは登城器の中でも(鍵縄)と言って、振り回すのでなく城壁や木、高楼などに上るためのものだということ。
②振り回して攻撃といえば、中国の縄鏢や流星、銚子の石黒流の縄術が本道であること。
③今、鍵縄術を正しく伝承しているところはおそらく皆無に近く、私などは正しく動作をもって師範、説明することはできないので丁重にご辞退申し上げました。その代わりに、おそらくそれについても独自に練習されているであろう初見先生の武神館道場をご紹介させていただきました。制作の方、大変お喜びでした。

・・・こういうお話は、商売っ気があると、出来る出来ないかかわらず、これを好機と飛びつくのでしょうが、私にはそんな度胸はありません。

 以前ロンドンブーツの番組やパチンコの構成などにも出演や協力を依頼されましたが、そちらも同様、丁重にお断りいたしました。出来ないものは出来ません。だってやったことないんだもの。"(-""-)"ですからこれは、あくまでもネタとしてのご報告です。

★でも出来ることは喜んでご協力いたしますよ(*’ω’*)『真田丸』関係のお話し来ないかな~♪とかは120%思っています。(*’▽’)・・・★と、こそっとアピール(笑)

それにしても鍵縄振り回す子供なら、警棒立てておけば巻き付いて使えないでしょうにねえ…毒でも塗ってるわけあんめえし。でも鍵縄で威嚇して、包丁で刺す気満々なら、間合いというものを知らなければ、絶対ビビってしまいますね。こんなこと言って僕なら撃っちゃったかもしれませんね~(+o+)г・・・バーン!

 警察官の皆さんも、春が近くなってくるといろいろ大変ですね。刺された方も、このクソガキも、警察の方も、みんな大事無いようで本当によかったですね。

 

忍縁ふたたび・・・

AKM48(赤目四十八瀧)を後にした我々真田忍軍AGS007(吾妻7騎衆)末裔一行(笑)、次なる忍者伝承を求めて山懐に抱かれた某所へ移動でござる。

ここは伊賀をさらにこえた大和の宇陀郡、ものすッごい山の中。家は山の尾根尾根に張り付くように立っている、まさに隠れ里のようなところ。
実はここに来る前に御土産物屋上田やさんのお爺さんが忍者の末裔で、銅銭を綴った鎖帷子(重そう…)や忍術道具が伝わっているということを伺い、早速行ってみる…となんと、おじさんはご不在(;´Д`)

写真は、柏原城で、籠城に備えて植えられたお茶の樹が野生化したもの。

折角来たのだからと気を持ちなおし、摩利支天様に祈念しつつ、付近の方いろいろに根掘り葉掘り聞き込みをしてみたところ天祐あり!あるおばちゃん曰く、実はある古忍の末裔が山の奥にお住いだということで、そちらの住所を聞いて訪ねてみることに…

と、やって来てみても、山仕事の人たちのほかは出会う人もおらず、行き合うことも難しいような細い山道の連続で、(ホントにここかいな)と正直不安になります。おばさま曰く「あの何とかって橋を渡って、大きな杉の樹かな?松かな??あそこを左に云々、道なりにまっすぐ行って、すぐ,スグって言ってもね、あんた歩いたらエライよ。車でそう、15分…30分かなあ??じゅうしょ?そんなのあんた、おばちゃんにはわかんないよ!」みたいなアバウト且つ頼りになる情報を頂いたので、まあそれしか手掛かりがないわけですな。でも自分の勘と忍縁を信じて突き進む(それもノンアポで)が松凬流で御座候・・・∵(゚ε゚(○=(*゚▽゚*)バシ!

・・・というか道はこの一本しかないから仕方ないし、引きかえすにもUターンしづらそうだし、あのおばちゃんも「まーまー大丈夫!そんな人じゃないから」と、なんとなく請け合ってくれたわけだし(まーまーそんな人って何だろうとか不安に思いましたが)行くしかないっす、ってな感じで奥へ奥へと進んだのでした。


そんな折、突然ぱあっと視界が開け、明るい谷筋の民家が数件ある集落につきました。「ここか!」とは言えども人影もなし。すると、小高い丘の上に集会所のようなところがあり、芝生にテーブルを置きティータイムをされている優雅な三人のおじ様方と目があいました。

「うおっ!第一村民発見!」これを逃す手はないですばい!と、今日はダーツの旅のAD風なテイストで(何しろ忍者ですから)「お取りこみのところすいませ〜ん、このあたりに忍者●●様の末裔の方がお住いって聞いてきたんですが~??」

・・・すると意外な反応が。

おじさん①「●●?あんた●●さんに何の用があるの?」(ちょっと探るように)

松「あ、私じつは長野の諏訪から参りまして、私の家に僅かに伝わった忍者の伝承を調べると、どうしても伊賀と甲賀にその源流があるということが判ってまいりまして・・・」

おじさん②「へえ・・・でも、普通誰かの紹介で会うものでしょ、アポイントなしで会おうなんて無いでしょう。(ジロジロ)」

松「ウッ…(バリバリ正論)そうだと思います。ですが、先ほど思いがけず○○さん(おばちゃんの名前)からこちらのことを伺い、失礼とは存じながらもいてもたってもいられず…(汗)」

おじさん③「・・・わかった。あんた本当に運がいい。ここにいる(おじさん②)が、●●の直系、●●さんだよ。」 

松「ひぇっ‼そ、そうとは知らず、失礼いたしました‼」

なにこの神展開!?と思いつつも、話すよりこっちの方が早い、と二人で道之礼法から躰轉しての刀刃避けや手裏剣の形をお見せしたところ、疑念を解いてくださり「それはそれは遠いところからよくぞおいでくださった・・・」と、親しくお話をしていただき、コーヒーまでご馳走になってしまいました(*'ω'*)b忝し!

 緊張も解けて、二言三言お話をする間に、私の祖母や割田さん、岩櫃の富沢三郎さんや祢津先生が言っていたことと同様のことを、深くご存知であるなど、この方は間違いなくその道の方だと確信するに至りました。忍びの道は忍び、ということでありましょうか★

●●さん(ご迷惑をお掛けしたくないので、写真や実名は控えさせていただきます)方は、せっかくの団らんのひと時を、時間が許す限りお付き合い下さり、いろいろご教示をくださいました。

忍者という言葉は最近の括り方で、もとは地の侍衆で、諜報や特殊任務のプロ集団といった方がよいということや、伊賀でも元々は我が家と同様棒手裏剣が主流で、中には木の棒の先に刃を仕込んだものもあったということなど、とても肯首できる内容で、武器や伝書も先の大戦のどさくさや供出で、多くは失われてしまったということなど、我が家と同様のご苦労を辿られたことも推察できる一面もありました。

そして特に印象深かったのは「忍びとは、自然や環境を有効に味方にして咄嗟の場合でもわが身や大切な存在を守ってゆくという考え方なのだ」ということです。これは、中々普通の人には言えないことです。大変素晴らしい教えを頂いたと感謝しております。一緒にいたおじさんたちも「●●さんとは長い付き合いだけどこんな話はじめて聞いたよ…」と、驚かれていました。

●●さんとは再会を誓って住所を交換していただき、「私はまだ仕事があるけれど、家の方には妻が居るから、行っていろいろ見てくるといい。」と有難くも忝いお言葉。ご厚意に甘えてさらに少し行ったご自宅へ。
奥方様も大変品の良い方で、突然の闖入に最初は驚かれていましたが、先ほどのことをお話すると「まあ、主人とお会いなさったのですね…」と嬉しそうにお迎え入れ下さり、天正伊賀の乱当時の漆黒の大黒柱に触れさせていただいたり(!)、地方に伝わる数々の貴重なお話をしていただき感銘を受けました。そして大河ドラマ真田丸の出浦対馬守の話になると「毎週楽しみに見ています。これからも見る楽しみが増えました。」とのこと。

それにしても、これは偶然といっても少し出来過ぎのような気がいたします。私が忍活を始めてからまだ一年弱ですが、岩櫃から始まって、甲賀、伊賀、そして諏訪と、出会うべき方がたと出会い、急速に何かが繋がってきているのを感じます。なんというか物凄い忍者への『引き』を感じて、少し怖いような気持ちすらします。どれもこれもわが守り本尊、摩利支天様のご加護なのでしょう・・・
伊賀忍者の非常食が郷土の味へ。

ともあれ、胸いっぱいのわくわく感を抱えて、一行は諏訪盆地目指して帰途についたのでした!お会いできた皆さまとの「忍縁」に感謝☆感激でござる(*'ω'*)ノ

AKM48で忍者修行★の巻

2月27日
明日から伊賀名張、赤目48滝にて忍者修行があるというので、見学に伺うことに。
 真田忍軍吾妻衆の末裔を代表する気持ちで表敬訪問してまいります!
吾妻の忍術は伊賀甲賀の秘伝を集大成したといわれる「甲陽」の流れ。伊賀は甲賀と並ぶ、大いなる源流の一つなのだ☆
...
天正伊賀の乱以降、多くの忍者たちは流浪の身となり、その多くは山の民の道をたどり、自分たちの技を活かす主君に使えるために、甲斐、そして真田を目指し落ちていった。
その出発点ともなったのが、最後の決戦の地、隠の柏原城だったのだ。
やばい。楽しみすぎて眠れない・・・

2月28日

行ってまいりました、憧れのAKM48(赤目48滝)!
AKM48(ひつこい!)は、言わずとも知れた(というほど一般には知られていない)伊賀忍者最後の砦であり、また一説によると伊賀忍術発祥の地、淵源の地とも言われる霊地でございます。紺碧流々、水量も豊富な滝が連続する渓谷は、なんと自然のオオサンショウウオがたくさん生息するという野生動物のサンクチュアリでもあります。
忍活真っ最中の私としましては、いつかは必ず・・・と胸に秘めていた念願の地でもありましたが、今回有難くもフェイスブックにて知遇を得た、伊賀忍者研究会の市川伊蔵さんが「名張の赤目にて忍術修行を実施するでござる!」とお声をかけていただき、急きょ参加、図らずもこの地を踏む幸運を得ることができました。


☝伊賀忍者研究会の池田裕先生(右)と、京都に伊賀流忍術道場を構える市川伊蔵殿(中央)
...
そもそもこの隠は伊賀の更に奥で、天正伊賀の乱のときは織田信長の大軍を前に秘術を尽くした攻防戦が繰り広げられたと伝えられる、伊賀忍者終焉の地ともいえる場所。

私の先祖が所属していたAGS007(吾妻7騎衆(^^)/)に伝わった甲陽流は、一名伊賀甲賀秘伝甲陽流とも言われているように、この名張柏原城攻防戦から散って行った伊賀の忍者たちが、山の民のルートを伝って甲斐に入り、当時戦国最強と言われた武田信玄の下、武藤喜兵衛(真田昌幸)、馬場美濃守などを中心に、甲州流、甲賀流とその秘伝を合流させ成立させたハイブリッド流派だったようです。

そして武田家終焉の後は、甲賀流の大本、信濃望月の一党である真田家を頼って合流し、そもそも信濃国人衆で忍びの達人だった出浦対馬守の下、岩櫃の断崖を天然の道場として訓練編成させ、山国真田の守りとなしたと伝わっています。

つまり、ここ伊賀隠の柏原城は、私の家に僅かに伝わってきたものの、源流の一滴が始まったところの一つと言えるのです。換言すると、天正伊賀の乱無くして甲陽流は無く、甲陽流無くして吾妻の真田忍軍は無かった、ひいては猿飛佐助や霧隠才蔵などの所謂「真田十勇士」の物語も生まれなかったのではないかとも思われます。それだけに私にとっては一入、感無量でした。

勝手神社より、柏原城迹を望む。


修行の内容は、最後の伊賀忍者といわれ、ペリーの黒船に偵察に入った伊賀の澤村甚三郎保祐師の系統を深く学ばれた、伊賀忍者研究会会長の池田裕先生を講師として、礼法、歴史、躰術、手裏剣、植物・鉱物学、兵糧丸作りなども加味され、初めての方でも忍者、忍術というものをより深く知ることが出来る体験型ツアーになっておりました。

池田先生の講義は、ユーモアを交えながらも、その土地の人でなければなかなか知り得ないような薬草、毒草、地勢、家紋や神社伝承など、鋭い視点で忍者の実像に迫ってゆく内容で面白く講義を受けることが出kました。

その中の忍者の分類(①前期忍者:ゲリラ・諜報戦のプロ集団・吾妻衆も含む)(②後期忍者:徳川~明治体制下の隠密・スパイ)(③現代忍者:忍者の伝えた知恵を、現代人の、特に子供たちの健全な育成の為に活用する個人ないし集団)という考え方にはたいへん共鳴できるものがありました。
私の存在意義は、①と③の忍者文化の橋渡しの役割を、僅か乍らでもさせていただくことなのかもしれないとも思いました。



参加者は私たち真田忍軍吾妻衆末裔を代表(?)して五十久(イヨク)党より松凬(私)が参加(*'ω'*)。その他、伊賀の市川伊蔵さんをはじめ、日本各地から選りすぐりの現代忍者さんたちが参集されました。みなさん世が世なら敵味方同士だったかもしれないのに(笑)何とも和やかにお付き合いいただき、息子共々感謝申し上げます('ω')ノ・・・★

私たちは初日のみの参加でしたが、一泊二日たっぷりと忍者体験をして、日本のもう一つの表情に触れてみることは、素晴らしい非日常体験になると思いました。興味を持たれた方は是非ご参加されてみては如何でしょうか!?