2015年9月30日水曜日

100年畳☜もうほとんどアート!

本日は朝からめずらしい来客が
諏訪にて伝統の畳を作り続ける情熱の人、杉浦直樹氏がたまたま拙宅のならびの家にお仕事でいらしていたらしく、お声をおかけくださる。

なんでも100年前に作られた畳を引き取って廃棄されるとのこと。

一も二もなく、ずうずうしくもお譲り頂く(*´ω`)
杉浦氏も戸山流居合を嗜まれる尚武の人。すぐにご理解いただき二人して手裏剣場に運び、さっそく初打ち!

・・・なんとなんと、100年の風雪?を越えたる畳なれどしっかり締まったその強度!本当にまっすぐ打たないとばっしんばっしん弾かれてしまう!!
隣の現代の畳にはどすどす刺さるのに。昔の仕事の良さがこんなところで知られるなんて言うのは面白い!100年前の職人さんにリスペクツ!!
杉浦さん、本当に有難うございました(^^)/また是非遊びにお寄りくださいね☆

さてさて、今日は2週間ぶりの諏訪柔術稽古会。

 順心老先生の被せ手、蛤手の妙よ!逃げられない、間を切らせない。
当身に長短あり。短は捻り手、長は当て投げ。ここは村上師匠と同見解。興味深し。曰く、打法は打撃に非ず。一重の身になって順心力にて取投げる如く打ち崩すが肝要なりと知るべし。
また、躰と肘を以て肘を操る小動作が、実は随所に隠されていることに説明を受け、突然技がかかりはじめる。
本来は自分で気が付かなくてはならないのに・・・自らの凡才を悲しむこと再三。

刀法は小太刀にて大太刀の間を制する見切りと擦りあげの技。
早く動けば斬られ、遅ければ斬られ、近ければ打たれ、遠ければ相手の剣は離れてしまう。剣道7段の人でも、なかなかできる人はいないと師の言。
 古流にはめずらしい半身をとらない小太刀の形。

また、神道流や一刀流に伝わる同様の形との比較も研究。足遣いは同様だが、諏訪の刀法は歩み足を多用する。それが淀みのない変化に通じるところは八卦掌にも言えること。

中国武術は、どうしても技術が漢字に沿うてしまいがちだが、日本のものの分類法は一味違って、感覚的な流れを重視するのは、大和言葉で伝承がなされてきたからなのだろうか…って言っても、上海の師父も超感覚派なんだけど☆たぶん老一代の武芸者って、理屈後付けなんでしょうね。

だから言ってるこことやってることが時に??ってなったりもするんだけど、そこを整理、再編して次代に繋げるのが己の役目だと思って、長ーい眼差しで技とお付き合いする日々なり。

武道酒は地元長野のオラホビール、ゴールデンエールとペールエール、さらにサンジョペーゼを醸したるリオハのボトル。スッキリ辛口美味(^^)/

2015年9月25日金曜日

リスペクト☆彡95歳!まだまだ現役!!

市川市長を5期、全国市長会会長などを歴任された市川の親父さん、高橋国雄先生の95歳の誕生会にて、延年長寿、無病息災を祈って演武をさせていただきました。

高橋先生は、僕が赤んぼのころからずーっと影に日に見守ってくれた恩師でありおじいちゃんのような人。

峨眉山や上海、インドネシアに行ったときなどは、この方の存在の見えない力にどれだけ助けられたことか・・・

上海の師父が日本で病気になった時も、八方手を尽くして治療の手はずを整えて下さった高橋先生!師父もいつも先生のことを訪ねられます。
...
『高橋学校』の教え子の中で、僕が一番の末っ子ではありますが、やっと少し恩返しができたのかも。演武は大変喜んでいただけました(^^)/

高橋先生、また来年も再来年も、ずっとお元気で、パーティーやりましょうね!


ちなみに合気道開祖・植芝盛平先生の直参で、合気道師範の宝理先生にも再会できました!

先生からは若松町時代の893さんとのやり取りとか、いろいろ面白いお話も聞けました(^^)/

先生もお元気95歳組!戦中派スゲーっす(‘◇’)ゞ敬礼!!

酒とブレーキ

ここ数年、お酒をやめていた。

 以前の僕を知っている人からすると、もはや信じられないという人も多かろう。
若いころは何だかもう訳が分からないくらい飲んでいた。
一時は、50度くらいの強い酒を、それこそゴクゴクとあおっていたものです。...
点滴で直接体に入れた方が効率いいんじゃない?と言われるくらい、アルコールべったりだった20、30代。よく金が持ったもんだと今では懐かしい。


でも、思えば別に、酒が好き!というわけでもなかったのだ。
酒の美味しさという意味でいえば、むしろ今の方がおいしいと感じているような。

 ただ単に酔っぱらっていたかった。あの酩酊した雰囲気が好きだったのだ。
境界がとろりと溶けて、言いたいことを大声でいい合って、時には情念のままぶつかり合える、ああいう嘘の付きようのない、思いがけないひと時を求めていたんだろう。

でもなぜ、そんなにひたぶるに非日常を求めていたんだろうか?

それは、根底に「生きることの軽薄さ」とか「ずる賢さ」を感じていたからなのではないか。
そんな弱い自分とか、世界を愛せなくって、計算高く立ち回ったり、健康のため丁寧に生きてみたり、ということは負けなんだ!とか思っていたのではなかったろうか?

それが故に、唯々酒の力を借りて、大騒ぎをしつつバランスをとっていた、というところか。
疾走感を求めて、それでもそんなに簡単に強くなれるわけもなく、だから身体は余念なく鍛えていたなあ。

でも養生という考えがなかったので、というか、そんなこと考える自分が許せなかったので、内臓は結構ダメージを受けていたのだろう。ともかくあのままではダメなのは自分でもわかっていた。

中国で修行中、身体の不調は最大になり、夜中に7度も8度も小便に行くようになった。師父と列車で2日もかけて四川の奥地までまで連れて行かれ、連日献身的に漢方薬と気功で治療を受けた・・・師父は親もしてくれないようなことをしてくれた(;´Д`)本当にありがとう!!

その後もだらだらと酒に頼っていたが、40を数える手前、酒が過ぎて不覚を取った。
そのころ自分は、やけっぱちになることに慣れてしまっていて、もうそんなに若くはないのだし、勝ち負けよりも、そこで暴れることに意義がある位に思っていた。
なんか、無用の用というか、ピエロになって見せるというのか。

まあ、丁寧に生きていなかったな。荒く、雑に生き捨てていた。今思えば師傳には申し訳ないことだったなあ。それもあっての完敗。というか酔っぱらっての喧嘩なんて、最低でしょ。自己嫌悪・・・

それからしばらくして、内功を積むのに迷いが生じていたころ、突然不眠の症状が出てきた。
眠れないんだけど身体にはパワーが満ちていて、背中を気感が迷走する・・・この感覚には正直閉口した.狂ってしまうんじゃないかというくらい悩ましいものだった。

ある日、たまらず師父に連絡をした。師父からは「完全菜食および断酒」と食養のアドバイスを受けた。疑いつつも実践すると、ひと月以上も眠れなかったのがウソのようにぐっすりと眠れたのにも驚愕した。いやはや、こういう現象も知悉しておられたか、奥が深いなあ、と感動しましたよ。

あれ以来、すこしだけ謙虚になった僕は、あんなに嫌だった生活者の道を模索するようになった。少しだけ丁寧に生きてみようと思えるようになってきた。
それで、丁寧に生きるというのは、なかなか大変だってことが判ってきた。

でも、何かを我慢して保守的に生きるということは、生き物の動きとしては自然ではない。
自然に生きるためには、いつでも疾走している必要はないが流動感は持っていないと腐ってしまう。腐ると結局自他共々ダメになってしまうものなのだ。ここの見極めは今だ難しいけどね。

流されて生きることも大事。自分の大事に思うものを突き詰めてゆくことも大事。
逃げることも大事。そして酩酊することも大事なんだよ、時には。
さいきんは心が動いた、と思える時にだけ・・・月に数回は飲んでも良いよ、と自分に許しを与えることにしている。覚悟がない時、なんとなくは絶対に飲まない。自分はブレーキを得た、っていうことなんですね、40いくつになって、やっと・・・(/ω\;)

いやはや、一周回ってこうなった、というお話でした。



写真は松本のクラフトビールフェスタ!…があるとは知らずに松本城へ車で行ったときの沈痛な面持ち。後は楽しそうに酔っぱらっている皆さん。やっぱり、お酒は好きです(*´ω`)

玄人さんとこんにちは

今日、柔術の師の庵に行く途上、印象に残ることがあった。

毎回剣道着を着て、刀を袋に入れて歩いてゆく。
最近は気候がいいのか、別荘族の方ともよく行きあう。
そういう方はおおむね二人連れで、犬を連れてのお散歩なのだけれど、僕のような所謂(武者修行スタイル)を見ると、覆わず立ち止まってしまう。
...
別にこの刀を抜くわけでもないのに、僕もごく自然に(?)挨拶してすれちがうだけなのに・・・みなさん実に崩れて、明け渡してしまうのだ。第一印象って、隠せない反応を引き起こすものだ。

そんな中、今日すれ違った人は、一味もふた味も違った。
スタンダードプードルを連れた、60がらみのおじ様は、僕の様子を確認した途端、奥様(?)をごく自然に後ろに控えさせ、会釈をしつつ間を保つように残心。
そのまますれ違った。

無駄のないその立ち居振る舞いと、着ているものから、大体どういった筋の方なのかは予想がついたが、流石!!

稽古前に実に心地よい緊張感を思い出させていただけた。

 一期一会・・・感謝(^◇^)

2015年9月24日木曜日

初夏の点描

刻一刻、目前のモノゴトは過ぎ去っている。
それは前を向いて歩んでいるから。

では、まなざしは前をむいたまま後に退いたとして、または左右に回転したときに、自分にとっての前ってどこになるんでしょう・・・?

先刻は 一歩一歩と 背にきえて 
...
別に、禅の考案でも、なにか秘跡的な何かということではなく、当たり前で、心を静めればわかることが多い。


師の庵に向かう山道で、懐かしい顔に出会いました。

笹船に ダイミョウセセリ 帆かけたり

トラツグミの雛が、側溝に落ちていました。助けようとしたが「稽古が終わってから、もう一度会えたなら、家へ迎えよう」とおもっていたら、数時間後、もういなかった…さすがに写真は取れなかった…

 

2015年9月3日木曜日

季節はもう秋なのです

みぞはぎって、いくらでも咲く。

 畑の畔、荒れた野原、地味の良いところには、それこそわんさと。
 所謂雑草なのだが、その雑草の佇まいが良い。

ねじり花と一緒に、友人の送ってくれた建水に投げ込んでみる。
みぞはぎの良いところは、活けて何日かすると、茎が自然に天に向かって曲がって、全体が自然の野原のようになるところ。



買ってきた花には、到底出せない力強さのなかに、秋風に揺れる儚さを感じてしまうのは、なんだかんだ言っても、日本人だからなのだろう。

小さな小さな紫色の花弁が、山の冷気を含んだ微風に乗って、昼下がりのくさむらに落ちた。

涼しさの なかに はらりと 秋の色

錦の秋に信州にきて、はや5年。
早いような遅いような。
これからは日差しがやわらかく、朝夕の冷え込みが日に日に深くなってくる。