ここ数年、お酒をやめていた。
以前の僕を知っている人からすると、もはや信じられないという人も多かろう。
若いころは何だかもう訳が分からないくらい飲んでいた。
一時は、50度くらいの強い酒を、それこそゴクゴクとあおっていたものです。...
点滴で直接体に入れた方が効率いいんじゃない?と言われるくらい、アルコールべったりだった20、30代。よく金が持ったもんだと今では懐かしい。
以前の僕を知っている人からすると、もはや信じられないという人も多かろう。
若いころは何だかもう訳が分からないくらい飲んでいた。
一時は、50度くらいの強い酒を、それこそゴクゴクとあおっていたものです。...
点滴で直接体に入れた方が効率いいんじゃない?と言われるくらい、アルコールべったりだった20、30代。よく金が持ったもんだと今では懐かしい。
でも、思えば別に、酒が好き!というわけでもなかったのだ。
酒の美味しさという意味でいえば、むしろ今の方がおいしいと感じているような。
ただ単に酔っぱらっていたかった。あの酩酊した雰囲気が好きだったのだ。
境界がとろりと溶けて、言いたいことを大声でいい合って、時には情念のままぶつかり合える、ああいう嘘の付きようのない、思いがけないひと時を求めていたんだろう。
でもなぜ、そんなにひたぶるに非日常を求めていたんだろうか?
それは、根底に「生きることの軽薄さ」とか「ずる賢さ」を感じていたからなのではないか。
そんな弱い自分とか、世界を愛せなくって、計算高く立ち回ったり、健康のため丁寧に生きてみたり、ということは負けなんだ!とか思っていたのではなかったろうか?
それが故に、唯々酒の力を借りて、大騒ぎをしつつバランスをとっていた、というところか。
疾走感を求めて、それでもそんなに簡単に強くなれるわけもなく、だから身体は余念なく鍛えていたなあ。
でも養生という考えがなかったので、というか、そんなこと考える自分が許せなかったので、内臓は結構ダメージを受けていたのだろう。ともかくあのままではダメなのは自分でもわかっていた。
中国で修行中、身体の不調は最大になり、夜中に7度も8度も小便に行くようになった。師父と列車で2日もかけて四川の奥地までまで連れて行かれ、連日献身的に漢方薬と気功で治療を受けた・・・師父は親もしてくれないようなことをしてくれた(;´Д`)本当にありがとう!!
その後もだらだらと酒に頼っていたが、40を数える手前、酒が過ぎて不覚を取った。
そのころ自分は、やけっぱちになることに慣れてしまっていて、もうそんなに若くはないのだし、勝ち負けよりも、そこで暴れることに意義がある位に思っていた。
なんか、無用の用というか、ピエロになって見せるというのか。
まあ、丁寧に生きていなかったな。荒く、雑に生き捨てていた。今思えば師傳には申し訳ないことだったなあ。それもあっての完敗。というか酔っぱらっての喧嘩なんて、最低でしょ。自己嫌悪・・・
それからしばらくして、内功を積むのに迷いが生じていたころ、突然不眠の症状が出てきた。
眠れないんだけど身体にはパワーが満ちていて、背中を気感が迷走する・・・この感覚には正直閉口した.狂ってしまうんじゃないかというくらい悩ましいものだった。
ある日、たまらず師父に連絡をした。師父からは「完全菜食および断酒」と食養のアドバイスを受けた。疑いつつも実践すると、ひと月以上も眠れなかったのがウソのようにぐっすりと眠れたのにも驚愕した。いやはや、こういう現象も知悉しておられたか、奥が深いなあ、と感動しましたよ。
あれ以来、すこしだけ謙虚になった僕は、あんなに嫌だった生活者の道を模索するようになった。少しだけ丁寧に生きてみようと思えるようになってきた。
それで、丁寧に生きるというのは、なかなか大変だってことが判ってきた。
でも、何かを我慢して保守的に生きるということは、生き物の動きとしては自然ではない。
自然に生きるためには、いつでも疾走している必要はないが流動感は持っていないと腐ってしまう。腐ると結局自他共々ダメになってしまうものなのだ。ここの見極めは今だ難しいけどね。
流されて生きることも大事。自分の大事に思うものを突き詰めてゆくことも大事。
逃げることも大事。そして酩酊することも大事なんだよ、時には。
さいきんは心が動いた、と思える時にだけ・・・月に数回は飲んでも良いよ、と自分に許しを与えることにしている。覚悟がない時、なんとなくは絶対に飲まない。自分はブレーキを得た、っていうことなんですね、40いくつになって、やっと・・・(/ω\;)
いやはや、一周回ってこうなった、というお話でした。
写真は松本のクラフトビールフェスタ!…があるとは知らずに松本城へ車で行ったときの沈痛な面持ち。後は楽しそうに酔っぱらっている皆さん。やっぱり、お酒は好きです(*´ω`)
酒の美味しさという意味でいえば、むしろ今の方がおいしいと感じているような。
ただ単に酔っぱらっていたかった。あの酩酊した雰囲気が好きだったのだ。
境界がとろりと溶けて、言いたいことを大声でいい合って、時には情念のままぶつかり合える、ああいう嘘の付きようのない、思いがけないひと時を求めていたんだろう。
でもなぜ、そんなにひたぶるに非日常を求めていたんだろうか?
それは、根底に「生きることの軽薄さ」とか「ずる賢さ」を感じていたからなのではないか。
そんな弱い自分とか、世界を愛せなくって、計算高く立ち回ったり、健康のため丁寧に生きてみたり、ということは負けなんだ!とか思っていたのではなかったろうか?
それが故に、唯々酒の力を借りて、大騒ぎをしつつバランスをとっていた、というところか。
疾走感を求めて、それでもそんなに簡単に強くなれるわけもなく、だから身体は余念なく鍛えていたなあ。
でも養生という考えがなかったので、というか、そんなこと考える自分が許せなかったので、内臓は結構ダメージを受けていたのだろう。ともかくあのままではダメなのは自分でもわかっていた。
中国で修行中、身体の不調は最大になり、夜中に7度も8度も小便に行くようになった。師父と列車で2日もかけて四川の奥地までまで連れて行かれ、連日献身的に漢方薬と気功で治療を受けた・・・師父は親もしてくれないようなことをしてくれた(;´Д`)本当にありがとう!!
その後もだらだらと酒に頼っていたが、40を数える手前、酒が過ぎて不覚を取った。
そのころ自分は、やけっぱちになることに慣れてしまっていて、もうそんなに若くはないのだし、勝ち負けよりも、そこで暴れることに意義がある位に思っていた。
なんか、無用の用というか、ピエロになって見せるというのか。
まあ、丁寧に生きていなかったな。荒く、雑に生き捨てていた。今思えば師傳には申し訳ないことだったなあ。それもあっての完敗。というか酔っぱらっての喧嘩なんて、最低でしょ。自己嫌悪・・・
それからしばらくして、内功を積むのに迷いが生じていたころ、突然不眠の症状が出てきた。
眠れないんだけど身体にはパワーが満ちていて、背中を気感が迷走する・・・この感覚には正直閉口した.狂ってしまうんじゃないかというくらい悩ましいものだった。
ある日、たまらず師父に連絡をした。師父からは「完全菜食および断酒」と食養のアドバイスを受けた。疑いつつも実践すると、ひと月以上も眠れなかったのがウソのようにぐっすりと眠れたのにも驚愕した。いやはや、こういう現象も知悉しておられたか、奥が深いなあ、と感動しましたよ。
あれ以来、すこしだけ謙虚になった僕は、あんなに嫌だった生活者の道を模索するようになった。少しだけ丁寧に生きてみようと思えるようになってきた。
それで、丁寧に生きるというのは、なかなか大変だってことが判ってきた。
でも、何かを我慢して保守的に生きるということは、生き物の動きとしては自然ではない。
自然に生きるためには、いつでも疾走している必要はないが流動感は持っていないと腐ってしまう。腐ると結局自他共々ダメになってしまうものなのだ。ここの見極めは今だ難しいけどね。
流されて生きることも大事。自分の大事に思うものを突き詰めてゆくことも大事。
逃げることも大事。そして酩酊することも大事なんだよ、時には。
さいきんは心が動いた、と思える時にだけ・・・月に数回は飲んでも良いよ、と自分に許しを与えることにしている。覚悟がない時、なんとなくは絶対に飲まない。自分はブレーキを得た、っていうことなんですね、40いくつになって、やっと・・・(/ω\;)
いやはや、一周回ってこうなった、というお話でした。
写真は松本のクラフトビールフェスタ!…があるとは知らずに松本城へ車で行ったときの沈痛な面持ち。後は楽しそうに酔っぱらっている皆さん。やっぱり、お酒は好きです(*´ω`)
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