2015年10月21日水曜日

道に大小貴賤なし

本日の柔稽古も、いつもどおり激しかった。 
俺の才能がないからなのか、少しだけ良くなったかな、と思うと振出しに戻るようなことが続いたり・・・師匠は「糞握り」を戒めるのだが、打撃に合わせて腕を添えてゆくことは本当の意味で胆力のいることだ。

技は見切りと合わせがなくては成り立たないものばかり。まったく足りないことだらけで、錬り稽古、乱捕りを付き合ってくれる師匠に本当に申し訳ない気持ちで一杯だ。そんな師ももう79歳、うかうかはしていられない。

月の入身と日の入身というのがあるのだが、日の入身はやる方もやられる方も危険なので感性と度胸がいる。今日から日の入身を学ぶ。また、八方梃の理を伝えられる。これと順心力が「把」の根幹にある内容なのだ。その手を十分に活用して、面白いように正に「手玉に取られて」しまうワシ(◞‸◟)。

 更に新しい指牙という把法を教わる。寡聞にして今まで見たことも聞いたこともない手だが、使い方はシンプル、で効果は絶大。まあ、教わっても功夫がなければできっこない。当然おいらも「できっか!こんなこと!!」とプチ発狂しながら技を技で返され、もんどりうつ。しかし厳しい。投げられすぎて昼を過ぎると頭がぼーっとしてくる。

と・・・突然に「あなたはバーベルもったことある?」と師。それから裏に出てバーベルやらダンベルで身体の芯を作る。やったあとは実に爽快、遊びがなくなった感覚。技の掛かりも良くなる。上海で大竿子を振っていた時のことを言うと「まさにそういうことだよ」と仰る。改めて負荷を垂直にかけることの重要性を実感する。

つくづく感じるのは、素朴な中に、深い精神性と理合いのある良い流儀だということ。何で今までやる人がいなかったのか不思議。門外不出だといっても、師匠も以前は少し教えてみようと思ったこともあるそうだ。でも、少しやると余りもの痛さときつさで皆逃げ出してしまったそうだ。ワカル。
刀術は小太刀を中心に、無刀入身までを何度も。最近足遣いが良くなってきたようで、これは少しだけ褒められる。嬉しいッ(;´Д`)

この柔は小太刀に工夫がある。「どんな獲物をもっても良いとなったら僕は迷わず小刀を選ぶね。」とは師の言。実際木刀を持っての乱捕り稽古では、小太刀を持った師に何度も追い込まれ、間合いを制せられ、刺されたり切られたり・・・こういった特殊技芸というのは昔から専門の職掌があったのだろうなあ。自分の中にそういったものが定着してくれることを祈念する。


終了後の武道酒、シャルドネのはずが何故か違う葡萄みたいな味が・・・?「こっちも判ってきたね~(笑)」と呵々大笑の師。幸せなひと時。

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