2015年10月17日土曜日

稽古の会誌上対談・・・伝統の生命「型」そこにある真実

11月号の月刊「秘伝」に「稽古の会」誌上対談

伝統の生命『型』そこにある真実

という企画にて、日蓮宗遠壽院荒行堂傳師である戸田日晨上人と、茶道壺月遠州流宗家の中村如栴宗家と私、伊与久の対談が、掲載されております。前中後の3回連載のうちの今回は第一回で、主に中村宗家の武家の礼法がビジュアル的に纏められております。



伝統的に保持されてきた「型」というものの役目や、その文化的な意義を三人三様のあり方から照射してゆく試みです。たかが「型」されど「型」、型は果たして必要なのか!?
けっこう思い切ったことも書いています。ご興味のある方はぜひ手に取ってご一読ください。



また、畏友の安田洋介老師の「太極遊戯」も好評連載中です!今回は特に素晴らしい、何度も膝を打つ内容でした。お勧めです!!

http://webhiden.jp/magazine/2015/10/201511.php

ちなみに、9月号の八卦掌特集の、こんな宣伝記事もありました。知らなかった~(/・ω・)/

http://webhiden.jp/learn/category2/special/12.php

2015年10月15日木曜日

変わる風景、変わる心

道を歩いていると、ガラッと風景が変わる瞬間がある。

今までの冗長な道行が、一気に変化する。


涼風がそよぐ尾根筋に出た時もそうだし、切り通しの向こうは蒼海だった、ということもある。

止まっていたら、こんな風景には出会えない。


もっと鋭敏になると、場所の気配というものも、大変な変化があるということに気が付く。

人里からすこしだけ上がり、なにかと目があったような気がすると、清冽な泉のような気配が、滾々と湧き出している社の杜だったりする。

歩んでいればこそ、味わえる。



味わうということは、向き合うということは、自分を探ること。

自分の風景が変化して、動かない一点が徐々に絞れてくる。

規矩を得るには籠るべからず。さりとて貪るべからず。


☆まあ、少々貪っても良いんだけど、何時までも貪り続けるってのも、なかなか出来そうで出来るものでもないからね~(*´ω`)

2015年10月12日月曜日

☆吾妻流躰術大人クラス☆

今日は、太極拳はフルメンバーでないとしても16名も参加者がいました(^^)/本来なら嬉しいはずなのですが、突如始まった花粉症??で,鼻はズルズル、クシャミしっぱなしの稽古会でした。お騒がせしました_(._.)_

でも、なんでしょう。熱っぽかったのが良かったのか、自分の動きの集中度はいつもの3倍増しでした。まあ、生徒さんは意識の埒外だったような気もするんですが・・・( ;∀;)ゴメンネ・・・


さて、後半はマニアック・ボディ・アーツ☆われらが吾妻流躰術稽古会大人クラス。先日入門してくれたⓈさんも参加して、総勢6名の稽古会になってきました。

 
この前もお話ししましたが、吾妻流は、私の祖母が伝えてきた吾妻伊与久氏所伝の礼法躰術の動作を縦糸として、私の研究してきた各種武術を横糸に、自分の納得のゆく躰術を残して行きたいと考えて、工夫してきたものです。
身体使いには、江戸期の武術よりも古態を残しているところもあると思いますので、新古品ならぬ新古流、身体使いだけ見るならば真古流とも言えるのではないかと、ちょっとだけ自負しています。

刀を二本使った「練り稽古」は、身体の軸や割腰を作るのに格好の方法だと思いますし、折敷きや山成、膝行や躰轉を網羅する「相の手稽古」も体の位置や軸動を相対的に錬るのには良いものだと思っています。

錬り稽古をする

子供たちも一緒に楽しんで行けるのも良いところ。手裏剣やって、西瓜を斬って、山駆けして・・・来年は吾妻流だけの合宿をやってみたいなあ!!

縁と一言でいっても、いろいろありますね。でも、それらすべてが有難い(*'ω'*)

人と人の縁というのは、努力しないと続かない時もある。

そうかと思うと、何ら力を加えなくても空気のように始まり、それこそ空気のように長く続く付き合いになるというのもある。

私と姜氏門、鄒淑嫺師父は、双方が相当に努力してきた。
穏やかな物腰に激しい情熱を隠した、綿裡蔵針そのものの師父だから、単純パッション馬鹿の若造だった僕からは、想像もできないような心の葛藤があったのだと思う。

それは時に、というか、付き合いが深くなるに従っては頻繁に発露されたのだが、その真の意味とかニュアンス、その後ろ側にある師父の人生や時々の精神状態まで見えて、いろいろと腑に落ちたのは、それこそ10年を数えて徐々に、僕もいろいろと経験をして、それなりの苦労もしてみて分かったことが多い。

師父からすれば、なんとも大変なお荷物を背負ってしまった・・・という一面もあったろう。
もちろん僕にしても、師父じゃなかったら、とっくにお付き合いゴメン被る!といって逃げてしまいたいような場面も沢山あった。

師父の中に何を見て、越え難きを越えられたのだろうか、技・・・は勿論なのだけれど、もう師父くらいになると、武術=その人生なので、やはり師父という人の表も裏も知って、それでも離れがたく、好きだといえる魅力が、その存在の裡にあったのだと思う。


それでも20年、よく一途について行けたものだと自分でも感心しているのだ。師父にしたってよくもまあ、全く性格も、言語体系ですら違った見ず知らずの若造に、自分の一番大切にしている宝をあげてしまおうと思われたものだ・・・これを縁と言わずして何を縁といえるのだろう?と、そう思うのだ。


そのような師父との丁々発止の触れ合いは、僕の青春時代すべてにわたって続き、僕が40歳、師父は90歳をかぞえて師爺の銅像引き継ぎという形でようやく安定したものに変化してきた。


そんな折に今の柔術の師、順心斎老先生に出会ったのだけれど、こちらはもう、事前におぜん立てが整っていたかのように、あれよあれよという間にご縁が出来上がってしまっている。これはもう、出会ったときから先生の流儀は継承する人が居られなかったし、僕はその存在を知った時から「この人は自分の師になるひとだ」という予感があった。

時が満ちるまでは2年間掛かったのだが、いろいろと時節が巡り、始まるときは思いもかけずにスーッと教傳モードに入ってしまった。
これもまた不思議な縁といえる。でも、ヒーヒー云いながら築いた鄒師父とのご縁がなければ、順心斎先生とも絶対に師弟関係にはなれなかっただろう。
技術的に見ても、僕の中に姜氏の錬躰が無かったとしたなら、今の諏訪神傳の技は手に余っていただろうし、以前の浅い人間観ではとても太刀打ちできないほど、先生の思想は重厚で説得力がある。

だから、二つの縁は、連環しているともいえる。


そういう目で見てゆくと、祖母に始まり、父、蟷螂拳の根本老師、開極拳の謝老師、和道流の長谷部師範、欄手門の尹老師、六合蟷螂の林老師、形意の趙玉祥老師、八天無双流の南里師範、そして小林流の村上勝美師匠・・・と、この人無くては今の自分になり得なかっただろう、という「有難き」ご縁の連鎖に導かれての今なのだということがよくわかる。

武縁、それも師傳だけでもこんなに沢山の縁の輪に囲まれている私がいる。
武友も含めたら、それはこれでは済まないくらいに、多士済々、いろいろな刺激を多方面から頂き、自分の輪郭が際立っているのである。

ここまでの、縁のあや模様を歩みながら振り返れば、いつでもなりふりとは無縁の自分がいたのに気が付いた。

これからも多分そうであるのだろう。今であっている人、これから出会う人、モノ、コト・・・格好をつける余裕など全くない。それだけ僕は待望して生きているのかもしれない。

いい年こいて・・・(*´ω`)てへぺろ。


☆ちなみに写真は師父86歳、3度目の来日の時の写真。偶然にも今自分が暮らしている地域を旅したときのスナップ・・・これもまた不思議な縁です(*´ω`)
こん時ゃ肉も酒も飲み食いしまくってました(^^)/ぷりぷりでしょ?

2015年10月10日土曜日

万波(よろずなみ)ひねもす揺らす小舟哉

最近内功武術教室と太極拳教室で万波揺舟をしつこくしつこくやっている。

掤と捋は、私の所の理屈では表裏である。どちらも縦の回転に左右の変化を合わせて合成している。擠按も、同様に同一のシリーズで稽古できる概念だとされている。ちなみにこれは横。
開合を含ませて回櫓推船の中で習得する。これは鄒師父が初来日した講習会で、はじめて公開された功法だった。


目線と、ちょっとした首の筋肉の作用が足の裏にまで作用して、大きな波を表現できるようになる様は、ちょっとしたダンスのようで、やっていてとても心地が良い。

これと神亀攪水、仙鶴展翅、青龍出水、老虎洗瞼、飛燕帰巣、天王托塔、十字開合などの所謂「順勢功法」を精錬すると、我が門独特の、素朴だが威力のある拳風が出来てくる。

逆に、これらが十分に表現できていないと言う事は、その練習者のキャリアが長くても、当門の要求を満たしていないということとなり、招式を多分に含む套路の稽古をしても、順勢をマスターしている稽古生と比べると実りは多くなり得ない、という厳しい現実と向き合わなくてはならなくなる。
順勢功法は、腰の強い生地を練るためのプラクティスなのだと思う。


出来ないことすら楽しみながら、一日のうち、たとえ僅かでもいいから順勢を打ち出すことに時間を費やしてほしいのだ。

工夫を苦労と思わず、水脈をつなげることのできた者だけが、先師の顕した技の真味を知ることが出来る。このくっきりスッキリ切れがある様子は、僕にとっては「南アルプス天然水」よりも清冽で美味しい「透明な味」なのです(*'▽')_U

詠応と・・・!

今日も八ヶ岳は晴天なり。
秋晴れが続くのが、こんなに気持ちの良いものだったんだ~!って思ったり。

町の教育委員会の方から子供らのいろいろなお話を伺う。
少子化は悪いことばかりじゃないなあ、今の子達はたくさんの眼差しに支えられて大きくなってゆくんだなあと思う。
そして自分も、そのまなざしの一つ。子供たちの善き(今)を願う。

光琳めいた桜の樹皮。高原の冷気が鮮やかに染めた紅葉のさんざめき。

秋冷えに衣替えたり山櫻



ところでところで、富士見でスウィーツって言ったら、やっぱり洋風厨房「のんき」さんの『カフェジェラード』ですよね(*´ω`)b唐突ですが・・・


ここは家族ぐるみでお世話になってる古川さんのお店。
http://www.pension-raccoon.com/・・・/fujimi/nonki/nonki.html
いつもゴンチチが流れるあったかい空間、目の前の眺望は秘かに僕の『里山ベストビュー』の上位にランキングしちょります(^^)/
殆ど毎週お邪魔してまして、今では「マスター、いつもの」と言ったら濃厚な味付けの『オムナポリ』(肉抜き)を出してくれる仲に。

こちらにお寄りの際は寄ってみることお勧めですよ!
ちなみにうちのお客さんは、大体こちらに連れて行って、おなか一杯になってもらっています♪

古川さんもそうだけど、こっちへ来て、独特のライフスタイルで生きている同世代の大人にたくさん出会えてうれしい。

午後は友人の妖精版画家、フェンリル工房の太田さん宅にふらりと立ち寄ってみる。
http://kouboufenrir.web.fc2.com/
これでもかと云うくらい人の好い太田さん、製作を中座して降りてきて下さり、暫く縁側で歓談。

話は最近訪ねた白州の「虎踊り」と、「ムジナ和尚」の伝説について。
私の持ちだした「熊野修験」「甲賀三郎伝説」と錯綜して、まるで万華鏡のように綾なす話に魂を奪われ、気が付けば夕刻。二人とも呵々大笑(^◇^)

何が楽しいって、知の冒険ほどわくわくするものは多くはないですね。
太田さん、こんどはぜひ拙宅にて一献、

「あるく瞑想」を主唱している、大島くんパパもご一緒しましょうね!また生演奏もしてください(^^)/
http://ameblo.jp/mera1978/


詠応とこだまする間の頼もしさ

2015年10月9日金曜日

礼法を以て躰を錬るべし!

最近の月曜夜間教室は、吾妻流躰術の稽古を中心に行っています。

吾妻流というのは、私の祖母が伝えてくれた手裏剣の別伝として教わった、折敷き、轉躰の技、伏身、抜身、道の礼などを根幹として、日月流、一傳流、 小林流、壺月遠州流礼法、姜氏門武術、諏訪伝承古武道を加味して纏めた、私自身のの流儀です。


元々は、ちびっこ達に礼法と躰術や手裏剣など、日本、特に忍者にまつわる身体文化を学ばせようと、工夫をしてきたのですが、出来が良くまとまってきたので大人も一緒に楽しんで行くことにしました。



柔術、棒術、手裏剣などの基本になる技法として、所謂身法、体捌きを錬るための礼法があり、礼を以て身体を作ってゆくというところに面白さを表現したいです。 


投げるのも投げられるのも、理さえ解って来れば楽しいもの。結構気に入って稽古してくれるのが嬉しいです。