2015年5月8日金曜日

把という概念 

あまり知られていない事だが姜容樵師爺は中国武術を「国術」、そのなかでも内家拳を「柔術」と呼んでいた時期がある。

 日本の武術が柔道に集約されてきたリアルタイムを生きた人だったので、自国の武術のアイデンティティーを確立させるのに、相当なに苦心したのだと思う。しかし、柔術とは・・・その言葉は一般化することはなかったのだが、あの文武に秀でた名家中の名家が、拳術の上乗をこう呼んでいたと言うこと自体、なんとも面白いではないか!

僕もその気持ちが解ることがある。
日本と中国の武術・躰術文化を、自分の身体の中で摺り合せるときに、なんとも形容のしがたい言葉や分化以前の概念に触れてしまうことがある。
そこで古典に触れて行く、遡って先人の思考や技に込めた思いにお伺いを立てるような気持で型を打ち、黙念師容を重ねてゆくのだが、そこで霧が晴れた様に腑に落ちるコトバと出会う時がある。
トランスファクターを得た、と思う瞬間である。往々にしてそれがあった後は技術的にも大きな変化を体験する事が多い。


最近では「把」と言う言葉がちょうどそれで、形意拳の打ち方と諏訪に伝わる一刀流系の身体使いが似ているとモヤモヤと感じていた矢先、師匠に丹田の使い方を問うた時から、その探求が始まった。
そこで開示された身体使いは心意門の伸縮と開合と類似する体動で、以前村上先生に首里手のチンクチについて伺って得た見解とも矛盾していなかった。これには正直驚いたのと同時に、丹田の力を外部に及ぼすときの基本的な術理には、地域、民族的な差異も認められる半面、じつは共通性の方が多いのではないかという私の持論を証明してくれるようにも思えた。

内家拳をやって、古流の空手を経験し、柔術、剣術・・・一見節操のない躰術のカタログのように思われても仕方がないが、どうしても共通するある力の表現を感じてしまう。

話は戻るが、掴むということは、自分を限定させてしまう事でもあるのだが、「把」はそうじゃない。把は力が追ってくる・・・勁というならばこれは勁だし、客観的に大別すれば「取り手」の必要条件に挙げられる要素だろう。先ず以てそれを作りだす動き自体が相似性を帯びている。

今日はいつにもまして投げられた。反撃すれども続いて行かない。
 簡単に逆転されてしまうのは、自分にはその「把」が無いからなのだ。(もちろんそれだけではないが) 落ち着いて、冷静に、力まないで攻防の機微を見て行かなくてはならない。
自分の至らないところ、解っていても何が表現できないのか、そういったところが段々浮き彫りにされてきている。目を背けずに、技に対しては真直ぐでいよう。

それには力一杯掛っていって、それでも把の優秀性を、身体で教え込んでくれる師匠たちの存在は欠かせなかった。自分もそんな風に人を導いていけたら…説得力のある存在になって行けたら、と心の底から思う。

師は「貴方の言葉で語りなさい」「それが伝統を継承すると言うことなのだ」とも。

 伝統とは、再創造すること、フタを開けてみた時に先人と同様の所まで自分を深めてゆくことこそが伝承だ、と至言した鄒淑嫻師父と通ずる、今を生き、刻々刷新し続ける「勁の伝承」の思想。

自分は「弱い人種」で本当に良かった。発見し伸びてゆく楽しさを味わえるから。そしてこの業があったことに感謝する。得難き出会いに囲まれているから。最近はこんなことばかり考えています(@_@;)

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