マーク・ロスコという所謂抽象表現主義の中心的作家の代表作、シーグラム壁画が7枚収蔵された(ロスコ・ルーム)っていう、面白いところがあって、明度を抑えた白亜の一室の両壁面が彼の絵で飾られているんですが、彼の時代のクーニングとかポロックとかとも共通するところなんですが、具象的要素が全くない、抽象のもつ善さがわからない人には、本当にただのペンキの迹?みたいなシロモノがすごい存在感で真ん中のベンチにいる鑑賞者をサンドイッチする不思議な空間なんですね。
僕は一応美術関係の学校に行っていましたけど、やることは一文字違いで(ぶ)術の稽古ばっかりでしたので、ロスコと言わず、もっと時代をさかのぼった抽象の巨匠たちの作品まで、理屈っぽさに目が行ってしまって「表現の袋小路に追い詰められた哀れな芸術・・・」くらいに捉えていた糞生意気でお恥ずかしいお子様だったのですが、ある時蓮の花を見に行く途中に立ち寄った川村美術館での彼(ロスコ)との出会いで一気に目というか脳ミソが開かれてしまいました。
それ以来抽象具象を問わず、というかそんな境目は霧散霧消して表現の純粋さやパワーみたいなものを感じ取れるようになったので、ロスコは恩人だと思っているのですが、それからもあの空間に浸るようにして佇んでいたくなる時がありまして、言うなれば実家の押入れに籠るような安寧と至福を感じたくなると、折を見て佐倉へ行くことがありました。
その日も誰もいない平日の午前中を狙ってロスコルームの人となっていました。
盛夏ではありましたが、一歩入ればそこは静寂の浄土。空調の効いた快適さも相まって気が付くと30分もそこでボーっとしていました。
ふ、と人の気配を感じて目をやると入り口から5~60代のくるくるパーマのおばさまの一団がにぎやかに入室。
「うわー、ここ涼しいっ!ほんと今年の夏は地獄よね~」「ところでさぁ、さっきの仏像って○○さんちの旦那に似てない??」「このまえ××温泉行って△△食べてきてさあ」・・・かしましいことこの上ないおばさまたちの襲来に気を取られてはかなわんと、僕は無言でベンチの真ん中でロスコの巨大な壁画と対峙しなおしました。
すると、その雰囲気にちょびっと気が付いたおばさまたちは「そうよね、私たちも真面目に画を見なきゃねえ、ほらあのお兄さんみたいに!」とかのたまって僕の隣に一列に並んでロスコと向かい合い始めました。
「なんだかオカシなことになったぞ…」落ち着かない思いをしながら、さらに3分ほどの時間がすぎてゆきました。その時間の長かったこと…傍から見たらなんかドリフの大爆笑でやっていた禅寺コントみたいな様子だったんではないでしょうか。
おばさまたちが、なんだかソワソワもじもじし始めるのを感じ、横の方に目をやると、あちらも僕と目があいました。そして衝撃の一言を言い放ちました。
「お兄さん、あたしたちなんかよくわからないんだけど、この壁のスクリーン?、これって何か見えてくるんでしょ?このまま終わりってことはないわよねえ?」
そう、おばさまたちはロスコの作品の余りもの抽象っぷりに、壁一面の壁画を、ミニシアターでも上映するためのスクリーンの模様と確信しておられたのです。
あまりにも意外な質問に、はじめは度を失った僕ですが、すぐにそれはイタズラ心へと変わってゆきました。僕はにこっとして「もうすこし・・・もう少しだけここで座ってじっと壁面を見ていてください。きっと吃驚するものが見えてきますよ。楽しんでください!」そう言うと一人腰を上げ部屋を後にしたのでした。
むろんおばさまたちは「やっぱり!思った通り映画かなんかはじまんのよ!」「そーよそーよ、高い入場料払ってきてるんだもん、ね~ぇ?」などと楽しそうにワーワー言って、しばらくベンチに座っておられました。 僕といえばむろんそーっとその場を退出したことは言うまでもありません(;'∀')
結して嘘はついていませんよ!僕はロスコの部屋で、ホントに彼の絵が語りかけてくれるのを聞いたんですからね~(*'▽')
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