2015年5月6日水曜日

 HEY!YO☆GO☆湖~('ω')ノ(余呉湖佳いとこ)

今日も暇を見つけちゃあ手裏剣投げてます。朝起きて、仕事の合間や帰宅後、何が面白いかって、踏み込みと手の内の関係性がダイレクトに結果に出るもんだから、なんつーか騙せねー、みたいな感がハンパねえっつー感じですね!(;'∀')?

形意拳のゲン歩や、秘宗拳の大開歩、八卦の転身や、諏訪刀術の円心斬の歩法がそのまま打剣の呼吸に合ってくる、というかそうでなくては刺さらないのです。
おかげで身体の方はすっかり復調しちゃいました(*´ω`)

仕事に持ち越さないで完治しちゃう辺り、ほんとエコというか経済的にできているなあ~と思います。もちっと優雅にアンニュイに、高等遊民のように生きてみた・・・まあ無理なのはわかってますけんね!ずーん!

さて、長浜の小堀遠州生誕地・・・と、一口に言っても、ホテルの人も地元の人も、だーれも知らないのですね、これが。
軽の真っ赤なジムニーで、ほっそいほっそい屋敷町の小路を行ったり来たり・・・かみさんもいい加減にイライラしてきて、車内に緊張感が漂う頃・・・やっとこそれらしい樹叢(じゅそう)がひとむら、屋敷の向こうにみえました。もしや、と思って一人車を止めて走ること300メートルほどで・・・ビンゴ!遠州さんめっけ!!(;'∀')ヨカッタ…

いやはや、こんなひっそり奥まったとこだったとは、観光案内に出ていたとしてもなかなかたどり着ける人はいないでしょうね。徳川時代の御茶頭、かの大遠州も知る由ナッシングでございましょうねえ。んで、山の神にお願いしてパチリ。
そこからは京都へひた走る・・・と行きたいところでしたが、大津方面は物凄い渋滞のもよう・・・なので急きょ、昔から行きたかった羽衣伝説と賤ヶ岳の地、余呉湖経由で大原から上洛しちゃろうと決定。

伊香の郷あたりから北方には、まるで屏風のような賤ヶ岳の山並みが迫ってきます。たぶん造山活動の妙なのでしょう、熊野の大斎原やハワイなどが持つ大地形の一端から地の気が吹き上がっているようで、目がくらくら、それでいて妙にはっきりと風景が輝いて見えます。

そんな山々の掌に守られる宝珠のように、静かに水をたたえた余呉の海が姿を現しました。
うわっ!むっちゃ綺麗!!・・・ほかの言葉を見つけられない、語彙の貧困な僕たちでした( ;∀;)

 黄金週というのに、観光客はほとんど居らず、釣りの常連客と代掻きに励む農民の姿がぽつぽつ、といったところ。
湖畔を散策すると件の八天女が舞い降りたという柳の老樹が、青藍の空に梢をめぐらせて、千年の時とともに佇んでいました。

八人目の天女は、羽衣を地元の豪族、伊香の臣に奪われ、その妻となります。
伊香の臣、というのはそもそも福岡は御井にいた中臣氏の祖だといわれており、白鳥伝説や天女伝説とは切っても切れない氏族です。
しかしこの余呉の伝説で面白いのは、その天女の子が異能を発揮して寺に預けられ、都に出て菅原卿に見いだされ養子となるくだりです。
その後意外なことにその子供が後の菅公、菅原道真その人だという展開には歴史が好きな人なら「あれ?」と思うかもしれません。
そもそも菅原氏は大和地方に進出した出雲の臣、土師氏系の名族で、律令を大成した後の中臣氏=藤原氏とは水火のごとき間柄なはず。言うまでもなく菅公その人もまた、藤原氏の専横の犠牲になり中央から追われてしまうのは周知の通り・・・
地方の秘めたる歴史は、そして民間の口碑伝承やフォークロアは、何か語るにはばかる事柄を包み隠しながら、ひっそりと佇み、時がそれを紐解くのを待っているかのようです。余呉湖の湛える静謐の、底に流れるひそやかな囁きを聞きのがすまい、と私たちもまた佇んだのでした。

日も中天を大きく傾き、さてそろそろ移動せねば。山越えで朋友の待つ今日の都へ、いざ!!!(∩´∀`)∩